特に2000年以降は、ラーメンやスイーツなどのサイドメニューも拡充し、いわゆる回転ずしの「ファミレス化」が進む。いまや昼下がりに、放課後の学生やママ友同士が、すしを注文せずに談笑する光景も珍しくなくなった。
こうした長居に優しい造りの大箱は、来店客としては使い勝手が良く、運営元からすればトップラインを伸ばすのに、またアイドルタイムの収益を確保するのに最適だった。
スシローやかっぱ寿司などの後発チェーンが台頭することで、元気寿司は影を潜めていく。
株式会社Genki Global Dining Conceptsコーポレート本部の大塚蒼氏は「1990年代後半まで回転ずしチェーンは、今ほど日常食ではなかった。それがロードサイド沿いに大型店が並び始めると、こぞってメディアが取り上げるようになり、ファミリーやカップル層に人気が出始め、相対的に元気寿司は存在感を失いつつあった」と振り返る。
デフレの波も直撃
加えて、価格競争で後れを取ったことも打撃となった。
デフレが顕在化した2000年代は、前出した大手各社が税抜90~100円の均一価格を敷き、ハレの日のご馳走だったすしを、グッと日常食に近づけた時期だった。元気寿司でも100円のメニューを多数揃えていたものの、150~200円近い皿も用意していたと考えれば、他社に比べて割高に映った側面も否めない。
後発チェーンの台頭、店舗設計による客層の取り逃がし、価格競争の激化ーー。複合的な要因から、元気寿司は徐々に陰りが濃くなる。直営の不採算店舗を畳み、フランチャイジーも契約更新時に離れていく流れが加速。2008年のリーマンショック時は、年間10店舗以上が看板を下ろし、その頃には約60店舗まで減少する。
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