不登校の娘の「死にたい」と重なる母の自死の記憶 子どもの感情をすべて受け止めていた"親の課題"とは?

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(写真:Fast&Slow)

透子さん(仮名・59歳)には、以前から聞きたくても聞けなかったことがありました。それは、お母様の自死。そして、娘さんの不登校をどんな思いで乗り越えられたのか?ということです。

今回、思い切って尋ねてみると、「我が家ではもう、不登校はすっかり過去の話になりました。母のことも、いずれ人に話せるようになる……と思っていたんですよね」と、昔を思い出すようにインタビューに応じてくれました。

透子さんの娘さんは社会人。大学で学んだことを仕事にし、結婚して、子どもを育てるワーキングマザーです。その娘さんが中学2年生の春から2年間、不登校だったのです。

「実は15年経った今だからわかることなのですが、私には娘の不登校を通じて学ばなければならない課題があったんです」と、透子さんはゆっくりと話し始めてくれました。

最初の不安は出産直後

透子さんにとって娘さんは、3年半の不妊治療を経て授かった待望の子ども。生まれた時は「よく来てくれたねえ」と、とてもうれしかったそうです。一方で、「この子を失ったら私は生きていけないかもしれない」と、得体のしれない不安に襲われたと言います。

透子さんはその瞬間のことを、部屋の様子や温度感、自分が着ていた服などとともに「鮮明に覚えている」と振り返ります。とはいえ、乳児の世話はそんな不安の意味を考える暇もないくらい押し寄せてきます。透子さんは初めての育児に戸惑いながらも、可愛くてたまらない娘さんとの日々を楽しんでいました。

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