そんなある日、透子さんの実家から連絡が入ります。お母さんが亡くなったのです。自死でした。お母さんはそれまでの数カ月間、鬱病の治療を受けていたそうです。
「母は孫の誕生をとても喜び、私が住む街までよく遊びにきてくれていました。なにかに悩んでいる様子もなく、まるで感染症にかかってしまったみたいに鬱病の症状が出たように私には見えました」
当時は今ほど鬱病に対する理解が進んでおらず、特に田舎では精神科に通うことに偏見があったとか。透子さんはお母さんに「十分な治療を受けさせてあげられなかったのでは」と悔やみました。そして、後悔と喪失感でしばらく立ち直れない日々が続いたと言います。
娘の言葉が過去と現在を結んだ瞬間
そんなできごとから十数年が経ち、透子さんは2つめの困難に見舞われます。娘さんの不登校です。
「中2の5月、娘が『学校に行けない』と言い始めました。そこからどんどん体調が悪化して、睡眠のリズムが崩れ、食欲も落ち、夜になると過呼吸を起こすようになったんです」
不登校初期。子どもも親も何が起きているのかわからない混乱期です。そんな時に娘さんが放った言葉に透子さんは衝撃を受けます。
「娘が『もう、死にたい』と言ったんです」
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