不登校の娘の「死にたい」と重なる母の自死の記憶 子どもの感情をすべて受け止めていた"親の課題"とは?

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そうして娘さんは高校に合格。中学校の卒業式には出席しませんでしたが、担任の先生や校長先生が娘さんのために卒業式を開いてくださったそうです。

その後、娘さんは高校、大学、就職、結婚へと進んでいきます。

ここであらためて、透子さんに自死について聞いてみました。

「当時は、娘を絶対に死なせないこと。それが母の自死の意味だと思っていました」

「でも、15年経った今思うのは、人にはそれぞれ課題があるということです。母には鬱病を発症するということも含め、母なりの人生の課題があったのだと思います。そしてそれは母以外の人には背負えない。

もちろん、医療も社会環境も変わってきた今なら、当時より手厚いサポートができるでしょう。でもいくら時代が変わっても、『自分以外の人の課題は背負えない、背負ってはならない』という本質を理解していなければ、私はいつかどこかで同じことを経験していたと思います。私はそのことを娘の不登校から学びました」

壁を乗り越えていくのは本人

課題の分離は、いっしょに巻き込まれるのがやさしさだという感覚からすると冷たく聞こえるかもしれません。ただ、壁を乗り越えていく力はその人自身の内側から湧き上がってくるものです。

「その力を信じてあげられるのは、自分自身が課題にちゃんと取り組んでいるからこそなんです。私もまだその途中です」と、透子さんは今も成長の過程にいるのだと話してくれました。

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