"そっくりさん系"ものまね芸人はなぜ危ういのか? 橋幸夫さん通夜で「RYO炎上騒動」が起きた必然

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無名の漫才師が路上で「漫才をやるから見てください」と言っても、見てくれる人は少ないかもしれないが、無名のものまね芸人が有名な歌手の真似をして一曲歌うのだとしたら、それだけで足を止めてくれる人はいるだろう。ものまね芸人は「ものまね」という芸を選んだ時点で恵まれた立場にいるということだ。

だからこそ、本来であれば、ものまね芸人は真似をする対象者へのリスペクトを忘れてはならない。本人が活躍してくれているおかげで自分の芸が成り立っているということについて、謙虚な気持ちを持っていなければいけない。

自分自身が本人であるかのように勘違い

ただ、ものまね芸人の中の一部には、それを忘れてしまう人がいる。必死で本人になりきろうとするあまり、自分自身が本人であるかのように勘違いしてしまい、調子に乗ったり傲慢になったりするというのだ。にわかには信じがたい話だが、複数の証言を得ているので、実際にあることなのだろう。

もちろん、すべてのものまね芸人がそのような問題を抱えているわけではない。ものまねという芸の中に自分なりのオリジナリティを加えている人もいるし、きちんと礼節をわきまえている人が大半だろう。ただ、自分と対象者の境界線を見失い、勘違いをしてしまう人が一部に存在することは事実のようだ。

自分なりの芸を磨くこともなく、見た目が似ているというだけでものまねができたつもりになってしまう「そっくりさん系」のものまね芸人の中には、そういう人が存在する割合が高いのかもしれない。

今回の騒動が残した教訓は明確である。「そっくり」という武器を持つ者は、似ていることを誇示するのではなく、似ているがゆえに責任と節度を持たなければならないということだ。

弔いの場を売名行為に使ったRYOの行動は、故人や遺族、ATSUSHIやそのファンに失礼であるだけでなく、ものまねという芸の看板そのものに泥を塗ってしまった。ものまね芸人はいついかなる時でも、対象者への絶対的なリスペクトと謙虚さを忘れてはならないのである。

ラリー遠田 作家・ライター、お笑い評論家

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らりーとおだ / Larry Tooda

主にお笑いに関する評論、執筆、インタビュー取材、コメント提供、講演、イベント企画・出演などを手がける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)など著書多数。

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