「競争」から降りて自分らしく生きるにはどうすればいいか?――哲学者が教える「人と争う心が自分を壊す理由」
これを内田は「呪い」という言葉で表現しています。
効率的に能力を磨き成長を促す仕組みだった競争は、「どんなことができるか」ではなく、「他の人よりも前にいるかどうか」を競うゲームになってしまうことで、他の誰かを出し抜くように私たちをあおり立てることになります。
ゲームの仕組みをハックしたり、法律の穴を突いたり、有益な情報を独占したり……私たちは、そういったやり方で他人を出し抜いて、ひとり分でも列の前に進むように動機づけられています。
自分の存在を自らの手でおとしめる
しかし、他の誰かを出し抜こうという欲望を抱くことは、自分が他の誰かに出し抜かれないようにと願うことでもあります。行列に横入りをする人は、他の人が自分と同じように横入りすることを望むでしょうか? もちろん望みませんよね。
つまり、誰かを出し抜いて前に立とうとすることは、自分がやっていることを他の人はやらないでくれ、どうか自分のようにはならないでくれ、と願うことなのです。
他人を出し抜くこと、ズルをすることは、自分の存在を自らの手でおとしめることです。これが「私のような人間がこの世にできるだけ存在しませんように」「自分のような人間がこの世に存在しませんように」という、自己の足元を掘り崩す祈りとしての「呪い」なのです。
私の好きなamazarashiの「たられば」という曲には、もしも自分が王様だったら、嫌いな人にみんな消えてもらうのにな、といった内容の歌詞があります。
しかし、そうするうちに自分以外みんな居なくなるかもしれない。だとしたら、自分が消えたほうが早いじゃないか、ということが歌われています。
この歌のように、他人を出し抜いてでも列の前に進もうとすることは、やがてその列の存在意義や、自分自身の存在意義を揺るがしてしまうことにつながるのです。これが、私が競争から上手に降りるべきだと考える理由のひとつです。
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