「競争」から降りて自分らしく生きるにはどうすればいいか?――哲学者が教える「人と争う心が自分を壊す理由」

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これを内田は「呪い」という言葉で表現しています。

みんなが遵法的にふるまい、自分一人が違法を犯す時に自己利益は最大化する。そうすると、その人は自分のようにふるまう人ができるだけ少ないことを願うようになります。当然ですね。それは言い換えると「私のような人間がこの世にできるだけ存在しませんように」と念じているということです。「私のような人間ができるだけ存在しませんように」という「呪い」の言葉を自分自身に向けているわけです。「呪い」の実効性を軽んじてはいけません。朝から晩まで「自分のような人間がこの世に存在しませんように」と祈り続けていれば、いずれその呪いは自分の存在の足元を掘り崩すようになります。
内田樹『複雑化の教育論』

効率的に能力を磨き成長を促す仕組みだった競争は、「どんなことができるか」ではなく、「他の人よりも前にいるかどうか」を競うゲームになってしまうことで、他の誰かを出し抜くように私たちをあおり立てることになります。

ゲームの仕組みをハックしたり、法律の穴を突いたり、有益な情報を独占したり……私たちは、そういったやり方で他人を出し抜いて、ひとり分でも列の前に進むように動機づけられています。

自分の存在を自らの手でおとしめる

しかし、他の誰かを出し抜こうという欲望を抱くことは、自分が他の誰かに出し抜かれないようにと願うことでもあります。行列に横入りをする人は、他の人が自分と同じように横入りすることを望むでしょうか? もちろん望みませんよね。

つまり、誰かを出し抜いて前に立とうとすることは、自分がやっていることを他の人はやらないでくれ、どうか自分のようにはならないでくれ、と願うことなのです。

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他人を出し抜くこと、ズルをすることは、自分の存在を自らの手でおとしめることです。これが「私のような人間がこの世にできるだけ存在しませんように」「自分のような人間がこの世に存在しませんように」という、自己の足元を掘り崩す祈りとしての「呪い」なのです。

私の好きなamazarashiの「たられば」という曲には、もしも自分が王様だったら、嫌いな人にみんな消えてもらうのにな、といった内容の歌詞があります。

しかし、そうするうちに自分以外みんな居なくなるかもしれない。だとしたら、自分が消えたほうが早いじゃないか、ということが歌われています。

この歌のように、他人を出し抜いてでも列の前に進もうとすることは、やがてその列の存在意義や、自分自身の存在意義を揺るがしてしまうことにつながるのです。これが、私が競争から上手に降りるべきだと考える理由のひとつです。

田村 正資 哲学者

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たむら ただし / Tadashi Tamura

1992年、東京生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は現象学(メルロ゠ポンティ)。開成高校クイズ研究部リーダーとして、伊沢拓司と第30回高校生クイズ優勝(2010年)。現在は株式会社batonで新規事業開発を手掛ける。これまでにYouTubeチャンネル「QuizKnockと学ぼう」やECサイト「QurioStore」の立ち上げに携わった。新規事業開発のかたわら、哲学研究と作家活動も継続。論文執筆のほか、『ユリイカ』『群像』に論考や批評を寄稿・連載するなど文芸誌でも活躍している。著書に『問いが世界をつくりだす メルロ゠ポンティ 曖昧な世界の存在論』(青土社)、『独自性のつくり方』(クロスメディア・パブリッシング)。

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