ピケティも絶賛! 革命的著作「緊縮資本主義」の衝撃 日本をも蝕む「緊縮」と「支配」と「格差」の関係
これに関してはマッテイは、まず緊縮自体が効果がない場合であっても歴史的に続けられてきたと反論する。
さらには(新)古典派経済学それ自体が資本家の階級維持に資するものでありそれ以外の選択肢を除外させる発想があるとすら言っている。
緊縮的でない比較的穏健なケインズ(経済学)に対しても批判をしていることから、おそらくマッテイの頭のなかには従来の資本秩序とは別の、つまり労働者階級が主体の経済体制の選択肢があることがうかがえる(献辞にもそれが読み取れる)。
このあたりはマルクス経済学の影響を色濃く感じさせるが、いずれにせよ(新)古典派経済学がそもそも資本秩序の保守と労働者の隷属化に適したものだという根本的な信念があるのだろう。
緊縮の悪影響が甚大だとして、緊縮が嫌なのであれば、民主主義であればそれは反対され、民意が反映される。社会全体としてはバランスは保たれるはずである。もし緊縮になっているのであればそれは政治的な民意なのではないか、という問いがある。
それに対してはマッテイは、緊縮は「脱政治化」されて行われると言う。政治的な思惑、たとえば資本秩序の維持といったものを除外したような体で官僚(テクノクラート)らにより執行される。マッテイの言葉で言えば「純粋経済学」として提案され、政治性を排した抽象的なシステムだと見せつつ、それこそが政治目的を達成するための巧妙な政治的手法なのだと分析する。
また“多数派”である労働者をどう従わせるかということこそが彼の勢力の主眼であり、しっかりと実行され効果を上げている以上、もはや民主的な手続きによる自浄作用は期待しにくいといった構造にも言及している。
このあたりの分析はもともと経済思想史の研究からキャリアを始めた氏の視点は鋭い。
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