台湾の歴史認識と日本の保守界隈との親和性。「心地よい幻想」で成り立つ日本と台湾の関係は危うい

2025年は「戦後80年」、第2次世界大戦の終結から80年の節目の年にあたる。日本にとって特別な意味を持つだけでなく、アジア各国にとっても重要な年である。
中国では「中国人民抗日戦争および世界反ファシズム戦争勝利80周年」の年として、夏には抗日関連の映画やドラマが相次いで公開され、大規模な軍事パレードや記念式典も行われたことは記憶に新しい。
韓国では6月16日の「日韓国交正常化60周年」に続き、8月15日の「光復80周年」が、日本統治からの解放を記念する大きな節目となった。では、台湾ではどうだったのか。筆者は8月に台北で行われた「戦後80年フォーラム」に登壇した。その時の議論を踏まえ、台湾における「あの戦争」の記憶を考えてみたい。
台湾にある「戦争」への2つの視点
台湾における戦争と戦後の記憶は、単純な一枚岩ではない。背景には、中華民国史観と台湾史観という2つの異なる視点がある。
中華民国史観に立てば、1945年8月15日は「抗日戦争勝利の日」であり、台湾が“祖国”に復帰する「光復」の始まりとされる。台湾では実際の降伏式が10月25日に行われ、日本の台湾総督・安藤利吉が降伏文書を中華民国側に手渡した。
かつてこの日は「光復節」として盛大に祝われたが、民主化以降はこの日に大規模な祝賀イベントなどが行われず、2001年には国定祝日からも外された。ところが今年、再び祝日に復活し、台湾社会に改めて歴史観をめぐる議論が巻き起こっている。
一方、台湾史観では8月15日は「日本統治からの解放」であると同時に、「中国国民党(国民党)による再植民地化の始まり」とも位置づけられる。日本統治期に兵士や軍属として戦場に動員された台湾人にとって、「抗日戦争勝利」という言葉は複雑な感情を呼び起こす。
この20年ほど、台湾政府は「抗日」という表現より「抗戦」を使うようになった。「抗日」は相手を明示する必要があるときだけ限定的に言及する。民進党政権期には「終戦」や「第2次大戦終結」といった中立的な言葉も多用されている。
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