「KYな人たち」にどうにも心がささくれ立つ…そんな時に思い出したい小津安二郎の《驚きの言葉》

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でも、どうせ遅れるだろうと思って、こちらが遅く行ったときにかぎって、時間通りに来ていたりする。そして、時計を見ながら、「10分待ちましたよ」。そんなことを言われたら、やっぱり怒りが込み上げてきますよね。

待ち時間は「ムダ時間」ですか?

私は、誰かと待ち合わせをするときには、早めに待ち合わせ場所へ行って、本を読みながら待っています。そうすれば、待つことがそれほど苦になりません。

その本が面白ければ、もっと先まで読みたくて、退屈な(失礼)打ち合わせよりはずっと充実した時間が過ごせます。遅れてもらったほうがありがたいという気分にもなるのです。

待ち時間は「ムダ時間」ではないのです。ですから、怒りも湧いてきません。遅れてくればもう少し先まで本が読めたのにと、逆のことで怒りたくなったりします。

いずれにしても、時計を見ながらイライラしているのは、それこそもったいない時間です。

本でなくてもいいでしょう。仕事の資料をチェックしても、知り合いにメールを送っても、ネットで興味のあることを調べても、いくらでも時間をうまく利用する方法はあります。

ものは考えようです。待つ時間は1人でいられる貴重な時間と考えてみてはどうでしょうか。たとえ5分10分であっても、それは自分の時間です。自由に使うことができます。待ち合わせに遅れてくる人は、そんな時間をプレゼントしてくれる人です。

そんなありがたいことを、怒りに変えてしまうのは、本当にもったいないし、愚かなことと思えばいいでしょう。

たとえば、私は国内、海外を問わず、出張の移動時間をとても大切にしています。有能かつ多忙なビジネスパーソンはそれができる人だと思います。

とはいえ、人を待たせること自体は決して褒められることではありません。

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