自信がないヤツほど「承認欲求」を持っている なぜ他人からの評価が気になるのか

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ちなみに私は、普段、付き合いのある仲のよいメンバーでも、全員の勤務先を知っているわけではありません。何をやっているのかもよくわからない人も数名いるのは例外としても、「何を、どんな仕事をしているか」は知っていても、どこに所属するかは興味ありませんし、あまり意味を成さないことだとお互いに思っています。

反対に少なくとも特定分野において自分に自信と判断基準があれば、周りに合わせることの安心感や周りの価値観に合わせる欲求のようなものは自然となくなります。

たとえば先ほどのお世辞。私の価値基準ではお世辞を言うことはたいへん失礼な行為です。本心とは異なることをその場しのぎで言うわけですから、私なら絶対言いませんし、言われたと感じたら露骨に嫌な顔をします。相手に対して失礼であるだけでなく、自分の言葉の重みを奪ってしまうので、将来の自分にも失礼です。

フォロワー精神を捨てよう

ちょっと極端な例ですが、周りがやるから自分もやる、というようなフォロワー精神を捨てて、行動することの意味を自分の中でよく考えてみることが、こういった自分なりの価値観や判断基準を構成する最初の一歩です。

1日3食食べるという簡単な行為でも、会社の飲み会でも友人関係でも何でもいいのですが、自分の日々の行動を、誰かが設定したルールにのっとり惰性でやるのではなく、定期的に、自分の人生のステージや価値観の変化に合わせて、自分にとっての行動の意味を考えてみる。その結果として自分なりの判断基準や行動の優先順位もつけられますし、自分というキャラクターの理解にも役立ちます。

学生までは、なんだかんだ言って親に囲われていれば自分が主役の人生ではないので、主体性を過度に持つ必要もないのかもしれませんが、社会人はそうはいきません。

自分の価値観やキャラクターを自分で設定して、どこで勝負するか、何に時間を今は使うべきなのか、そういった何かを捨てる勇気を持つ練習をするべきなのです。

ボンボン学校にいそうな秀才君じゃあるまいし、すべてでオール5を目指すのが人生の目的ではなく、ひとつでもいいから自分が輝ける場所を見つけて活躍するというのが、人生においてはより大切なのではないでしょうか。

そのうえで大切なのは、人と自分は違って当たり前という考えにのっとり、自分と違う考えや思考の人がいたとしても軽蔑や敵視せずに、それが当たり前なのだというスタンスで受け入れる、という柔軟性を持つことではないでしょうか。皆同じであるという前提に立つから、異様なものを排除しようとする危険な雰囲気になってしまうのですから。

多様性があるからこそ、世の中、面白く成り立っているわけですから、自分を確立したもの勝ちですよ。頑張り隊さんの奮闘を応援しております。

安井 元康 『非学歴エリート』著者

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やすい もとやす / Motoyasu Yasui

MCJ社長兼最高執行責任者(COO)。アニメーションの企画・制作を手掛けるベンチャー企業を経て、MCJにて東証への上場を経験。その後、経営共創基盤にて戦略コンサルタントして9年間活躍し、2016年3月にMCJに復帰。著書に学歴コンプレックスに悩みながらも独自の方法でキャリアを切り開いてきた様子を描いた『非学歴エリート』(飛鳥新社)や、自分ならではの人生を生きる術を描いた『極端のすすめ』(草思社)等がある。

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