自信がないヤツほど「承認欲求」を持っている なぜ他人からの評価が気になるのか

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さらに言うと、そもそも他人が私の人生に責任を負ってくれるわけでもありませんし、他人が自分をどう思うかについて、影響力を行使できる場面は少ないので、周りの目を気にすること自体が時間の無駄だと思っています。それよりも自分自身を自分の思う完璧な方向に変えるべく日々努力するほうが、確実な効果が得られます。

さて、「方法」ということですが、これはおそらく小手先の方法論では解決しません。冒頭で述べたとおり、反射神経的に、ごく普通に振る舞えるように深いレベルで志を持つ、ということに尽きます。

そのためには自分のキャラクターを確立するために、自分にとっての価値や判断の基準、自分にとっての優先順位を、人生のそれぞれのステージにおいて設定をするということです。ベースとなる芯の部分がしっかりとしていれば、自然と何事に対しても意見を言えますし、判断力も磨かれます。

そもそもなぜ、周りの目を気にするのか

そもそも周りの目をなぜ気にするかというと、自分と自分の意見や行動に対して自信を持っていない、または自分自身の確固たる判断基準が欠如しているからです。

自信がないくせに自意識過剰といいますか、そんな状態なのでしょう。冒頭で私は、自分が完璧な人間であるという幻想を持っていないと述べました。つまり、自分は至らない人間であるという意識を持ちつつも、つねに改善のための努力をするという、ポジティブな謙虚さを持つことが大切になります。

ところが一方で、そういった自分自身が不在であると、周りからの承認欲求みたいなものを持ってしまうことで、結果として判断基準を周りの視線や意見なりに委ねてしまう、ということなのでしょう。

ところがこの場合の「周り」がつねに同じメンバーだったり、同じ考えであればいいのですが、通常、そんなことはありませんので、そのような状態を作り出してしまうと、自分自身の判断基準や価値基準が周りに応じてコロコロと変わってしまうことになりかねません。これは自分が不在になるという意味において要注意です。

ちょっと話がそれますが、自分を紹介する際に自信がない人は、勤め先や出身校の話を連発しますが、これも自分の定義を世間的に認められた所属するハコに求める、という行為です。

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