地震で損壊したミャンマーの日本人慰霊碑、戦後80年の記憶が薄れる中、慰霊碑修復を進める必然

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現在でもミャンマーで仕事をする際には、日本人であることが好意的に受け止められ、実際に優遇される場面も私自身多く経験してきました。

今回の大地震に際しても、日本政府は国際協力機構(JICA)国際緊急援助隊(JDR)医療チームを被災地に派遣し、テントを設営して野外診療所を開設、診療活動を行いました。JICAミャンマー事務所の大村佳史所長は、

「被災地であるマンダレーには、かつて日本に留学した方々や、研修などで日本を訪れた経験を持つ方々が多くおられ、日本に対して特別な想いを抱いている人も少なくありません。そうした背景もあり、各国から救援隊が到着する中で、あえて『日本の診療を受けたい』と希望する被災者が多く見られました。また、診療所で活動する日本の医療チームやスタッフに対して、地元の方々から冷たいアイスコーヒーの差し入れをいただくなど、逆に日本側が温かい支援を受ける場面もありました。日頃から築かれてきた人と人とのつながりの大切さを、あらためて実感する出来事でした」

と振り返ります。

急速に減少している歴史の語り部

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2025年3月の大地震で被害を受けたサガインヒルにある日本人慰霊のパゴダ(写真・西垣充)

将来に不安を抱える多くの若者たちは、海外での留学や就労を目指しており、2024年度の日本への国別外国人新規入国者数においては、ミャンマー人は世界でもっとも高い増加率を記録するなど、ミャンマーの人々の日本に対する好意的な感情は、日本政府や日本企業、そして民間の方々の地道な活動により、今なお保たれています。

コロナ禍やクーデターの影響により、地場企業を含めて多くの企業が従業員の解雇や撤退を余儀なくされています。そうした厳しい状況下においても、多くの日本企業は現地での雇用維持に尽力し、困難な場合には日本含む、第三国への事業所への異動を通じて雇用の継続を図っています。

日本では戦争を直接体験した遺族や関係者たちは、今まさに次々とこの世を去ろうとしています。ミャンマーでも、日本兵と何らかの接点を持ち、善意で見守り続けてきた現地の方々の高齢化が進んでいます。このように両国とも戦争の記憶を「自分ごと」として語ることのできる世代は、急速にその数を減らしつつあり、口伝えで受け継がれてきた戦争の記憶や慰霊碑に込められた想いも、徐々に失われつつあります。

私自身、仕事を通じて多くの旧日本兵の方々から直接お話を伺い、ミャンマーの人々からも戦時中の体験を聞いてきました。その中で、「記憶をどう伝えるか」といった問いに、幾度となく考えさせられてきました。

私たちが歴史とどう向き合い、未来に何を託すのか。戦後80年という節目を迎える今、私たち自身がこの問いに正面から向き合い、あらためて考えるときではないでしょうか。

政策研究院大学院大学の工藤年博教授は、「近年、日本に渡航するミャンマー人が増加している今、新たな日緬関係を築く時」と語っています。

西垣 充 ジェイサット(J-SAT)代表

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にしがき みつる

ミャンマー専門コンサルティング会社「ジェイサット(J-SAT)」代表。大手経営コンサルティング会社から、1996年4月に日系企業のヤンゴン事務所に転職。98年に独立し、同地にてJ-SATを設立。企業のミャンマー進出支援やミャンマーでは最難関の日本語学校を運営、ミャンマー人エンジニアや日本語が話せる技能実習生・特定技能生派遣など、一貫してヤンゴンに常駐してビジネスを行う。

ジェトロ・プラットフォームコーディネーターや大阪府ビジネスサポートデスク、福岡アジアビジネスセンターなど公的機関のアドバイザーも務めるミャンマー支援の第一人者。

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