地震で損壊したミャンマーの日本人慰霊碑、戦後80年の記憶が薄れる中、慰霊碑修復を進める必然

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あれから20年が経ちました。再び様子を見に行きたいという思いはあるものの、2021年のクーデター以降、ミャンマー国内は内戦状態が続いており、とくにクレ高地周辺では激しい戦闘が行われているとの情報があります。そのため、訪問は現実的には困難な状況です。慰霊碑が今も野ざらしのままであろうことは、想像に難くありません。

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ボート乗り場から臨むクレ高地(写真・西垣充、2009年撮影)

第2次世界大戦中のビルマ戦線に派遣された日本兵は30万人ともいわれますが、うち戦没者数は18万人とも言われています。過酷な戦闘や環境を表す「地獄のビルマ」と言われたミャンマー全国には、激戦地を中心にいくつかの慰霊碑が戦後建てられたと聞きました。

日本とミャンマーとの特別な関係

ミャンマーの国の約85%は仏教徒であると言われています。当地の仏教徒にとっては「輪廻転生」の考え方が深く根付いて、「生まれ変わること」が前提とされており、火葬後の遺灰はそのまま廃棄されるのが一般的です。

日本では遺骨が重要視されますが、ミャンマーにいる仏教徒にとっては、遺骨として特別に扱う文化がなく、慰霊碑という概念自体もミャンマーの仏教徒と日本人が考えるものとは異なっていると思われます。

アウンサンスーチー氏の父であり「ビルマ建国の父」と称されるアウンサン将軍、そして1962年のクーデター以降、長らく実権を握ったネウィン将軍は、ともに日本軍の訓練を受けた「30人の志士」の一員でした。

1970年代以降、日本はミャンマーに対する政府開発援助(ODA)を加速的に拡大し、経済面においても他国とは異なる特別な関係を築いてきました。

現地の人々の中には、日本人にとって遺骨が大切なものであることを理解している人もおり、日本軍と連合軍が激しく戦った場所を訪問した際には、日本兵と思われる遺骨をていねいに保存している様子を何度も目にしました。

また、かつて日本に出稼ぎに行き、多くの日本人に助けられた経験のあるミャンマーの方が、井戸から見つかった自害した日本兵の遺骨を埋葬し、墓碑を作って大切にしていた方にも以前お会いする機会がありました。

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