地震で損壊したミャンマーの日本人慰霊碑、戦後80年の記憶が薄れる中、慰霊碑修復を進める必然

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ヤンゴンには、第2次世界大戦で亡くなった日本人兵士たちだけでなく、明治、大正時代のカラユキさんと思われる方々はじめ、戦後、ミャンマーで亡くなられた日本の民間人の方々が眠っている墓地があります。

日本政府が建てたビルマ平和記念碑があり、現地日本人コミュニティの親睦組織であるヤンゴン日本人会が、日本政府の支援を受けながら管理・運営の一部を担っています。ヤンゴン日本人会の役員の方によれば、

「『日緬両国の親善』という同会の設立目的に鑑みて、ヤンゴン日本人墓地以外の慰霊碑等の維持管理についても何らかの対応を行いたいという思いを持つ会員はいる。しかしクーデター以降、日本人会員数が大幅に減少し、予算規模も縮小する中、国内各地に点在する慰霊碑の維持管理まで手を広げるのは容易ではないのが現状だ。もし、資金面で協力が得られる機会があれば、今後の前向きな検討につながるかもしれない」

とのことでした。

「日本人は来なくなった」

マンダレーから車で約3時間の街・シングーからボートに乗り換え、イラワジ川を30分ほどさかのぼった場所にクレ村という小さな村があります。

クレ村に住む、戦時中を知るドウ・ケンウーさん(写真・西垣充、2009年撮影)

この村は、ビルマ戦線の激戦地として知られ、多くの日本兵が命を落としたクレ高地へ向かう地で、その頂には慰霊碑が建てられており、2005年頃、私自身が現地を訪ねる機会がありました。当時、クレ村へ向かうためにボートに乗船した際に船頭に尋ねると、次のように語ってくれました。

「以前は日本人がよく慰霊に訪れていて、そのたびに私たち船頭が案内したものですが、最近はもうほとんど、日本人は来なくなりました。日本人以外が訪れることはまずありません。あの場所を知る船頭も、今ではほとんどいなくなりました」

慰霊碑のある場所は、船着き場から徒歩で急な崖を登った先にあるようでしたが、長らく手入れがされておらず、草が生い茂り、荒れた状態で登ることができませんでした。

村の年長者の話によれば、戦時中、日本兵たちは村人とは別の場所に駐屯して生活していたそうです。多くの兵士が命を落としたその場所に慰霊碑が建てられましたが、村人たちはその地に近づくことはあまりなかったとも語ってくれました。

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