「東洋経済の社員は仕事をせず囲碁をしている」との噂も流れた…【渋イイオフィス探訪】東洋経済新報社の“1961年竣工”本社の知られざる実態

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いやあ、すごい。堅牢そのものな本棚がところせましと並んでいて、貴重な文化財を守るシェルターの中にいるような気分だ。

古い本の匂いとともに、昭和の空気が今もそのまま漂っているような気がする。

東洋経済新報社 第一資料室
中には新旧さまざまな書籍が整然と並んでおり、歴史の重みを感じる(筆者撮影)
東洋経済新報社 第一資料室
天井の剥き出しの配管がまたよく、地下にいることを感じさせる(筆者撮影)

ほかにも、地下2階には伝統あるサークル室が存在するそうだ。

東洋経済新報社 サークル室
竣工当時の場所ではないのだが、今も「音楽室」としてサークル活動のための部室が残っている(筆者撮影)

壁には80~90年代のロックバンド、ガンズ&ローゼスのアルバムのチラシが。タイムスリップしたみたいだ。

それにしても、会社でサークル活動ってどこか昭和の香りがするような……。他の会社の皆さんはどうなんでしょうか。

東洋経済新報社 サークル室
ちなみにここが昔のサークル室で、今は倉庫になっている(筆者撮影)
東洋経済新報社 写真スタジオ
出版社だからこその写真スタジオも地下2階にある(筆者撮影)

一粒で何度もおいしい、「渋イイ」オフィスビル

ここまで東洋経済本社ビルの渋い魅力に迫ってきたが、あらためて思うことがある。

古いビルって、当時のままのものが残るよさもあるけど、時代とともに使う人々が工夫してきた、その変遷の面白さもあるのだ。

いつまでも、大切に使われ続けてほしい「渋イイ」オフィスビル。

だが、そうもいかない事情があるようだ。日本橋の大規模な再開発にあわせて、10年以内に立ち退きしなければいけない……という噂があるらしい。

どういうことなのか。

後編では、時代を広げて、東洋経済本社ビルのこれまでとこれからをさらに深掘りしていきたい。実は、あの日銀と土地を交換していたらしいぞ!?

(編集:高部知子)

山田 窓 ライター

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やまだ・まど / Mado Yamada

平成元年生まれ。大学時代を京都で過ごす。60年代のビルやバブル時代の都市計画、奈良や京都の仏像など古いもの好きが高じてライターとなる。2020年からウェブサイト「デイリーポータルZ」を中心に執筆している。

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