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地下にパブが?「四季報の会社」知られざる実態

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そう言われて始まった本企画だったが、いざ取材してみると非常に歴史のあるビルだとわかった。新しいオフィスビルもいいけど、昭和の雰囲気がたまらないし、日本橋エリアの歴史を見守ってきたことを感じさせられた。

ということで、後編となる本記事では、まずは現在の東洋経済本社ビルができるまでの経緯を追っていきたい。

これがなかなかにダイナミックな話なのだ。

東洋経済新報社の創業は牛込区だった!?日本橋への本社移転のワケ

東洋経済新報社の創業地があったという牛込区(現・新宿区)新小川町付近。飯田橋駅から徒歩10分程度の場所にある(筆者撮影)

『東洋経済新報』が創刊されたのは1895年。日清戦争に勝利した直後で、国民の目が世界へと向きはじめた時代だ。最初は、牛込区新小川町にあったという創刊者・町田忠治の居宅(借家)からはじまった。

当時の編集室は七畳半の一室だったそうだ。日本経済が急激に近代化を進める中で、「健全なる経済社会を牽引する経済雑誌が必要である」との想いで創刊された。

その後、事業拡大しながら牛込区内での2度の移転を経て、ついに1931年、日本橋へ本社移転する。

日本銀行、三井本館、三越百貨店など今も戦前に建てられた重厚な石造りのビルが残る日本橋(筆者撮影)

決め手は、日本銀行や横浜正金銀行(現・三菱UFJ銀行)、三井銀行(現・三井住友銀行)、三越百貨店などが集中し、また丸の内のビジネス街や兜町の東京株式取引所(現・東京証券取引所)にも近いという立地だった。

やはり牛込区から取材に行って帰ってきて……というのがけっこう大変だったそうで、当時の多忙な記者たちの要望を受け、自ら日本のビジネスセンターへと乗り込んできたのだ。

晴れて日本橋に進出……その後、日銀との土地交換を経て、現在地へ

1931年に日本橋に完成した、当時の本社ビル(1940年頃撮影、『東洋経済新報社 百年史』p391より)

立地も今とは異なっていた。

当時の本社ビルは、今の本社ビルから北に約200m進んだ、日本銀行本館の北隣である。

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