クイズ作家・日髙大介(47) ≪パニック障害≫でセンター試験は途中帰宅し、仕事も次々降板…“ライオン16頭に囲まれているような恐怖”を語る
──ですが結局、その年に受かった慶應の経済学部に進学されています。
ものすごく悩んだのですが、3月くらいに、もう浪人はせずに進学しようと決めました。来年のセンターや東大の試験でまたひどい症状が出たら……という恐怖もありましたし、「クイズ研究会さえあれば、東大でも慶應でも楽しめるはず」と自分に言い聞かせて(笑)。
大学生活で快調な日が増えるも、まさかの“揺り返し”が
──パニック障害を抱えながら東京で一人暮らしをするには不安もあったでしょうが、大学生活はいかがでしたか?
上京する前は不安だらけでしたが、結果的にとても楽しかったです。症状に関しては、例えば講義は、後ろの席に座れるような人数の少ないものは大丈夫でしたが、教室が満杯になるような授業だと、下見やセンター試験の日のフラッシュバックが起きることもありました。ただ、体調不良で欠席が続いた場合や、症状が出たときには教授に相談していたことで、「無理しないでいいので、大丈夫なときだけ来なさい」という感じで対応していただけました。
当時は下宿先の最寄り駅近くに見つけた心療内科で抗不安剤を処方してもらっていたものの、頓服だったので、まったく飲まない日もありました。僕が住んでいた武蔵小杉のアパートはクイズ研究会のたまり場になり、よく仲間と朝まで早押しクイズばかりやっていましたね。
やがて調子がいい日が多くなり、25歳の頃は薬も飲まず、病院にも行かなくなり、おそらく寛解に近い状態まで持ち直していました。その頃はすでにクイズ番組にも出られたり、家庭教師、塾の講師などの仕事もできたりと順調で、毎日が充実していました。
──本当によかったです。
ただ……。その年のある日、大きな“揺り返し”がきてしまいました。昼寝をして休んでいたら、突然気持ち悪くなって飛び起きまして。例の動悸や息切れ、めまい、発汗、強い恐怖心など、久しぶりの発作がひどく、「ヤバい、今すぐ薬を飲まなきゃ」って。なのに、もう手元に抗不安薬が残っていない。混乱して、服の上から冷水のシャワーをダーッて浴びたのを覚えています。それでも震えが止まらなくて。

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