専門家が「子どもでもわかる」ように解説! ロシアによるウクライナ侵攻の背景にある"冷戦時代"の記憶
一方、ウクライナは、国の東側はロシアに、西側はヨーロッパに接している国です。国土面積は日本の約1.6倍で、国土の大部分を農業に適した肥沃な黒土地帯が占めています。
小麦の生産が盛んで、「欧州のパンかご」と呼ばれる、世界有数の小麦の生産国です。国旗の青と黄色は、青い空と黄色い小麦を表しています。また、石炭や鉄鉱石などの資源が豊富で、鉄鋼業なども発達しています。
ウクライナ人とロシア人は、同じ民族にルーツをもつといわれています。
9世紀末から13世紀にかけて、今のウクライナとロシアなどにまたがる地域には、キエフ・ルーシという国がありました。ウクライナとロシアのどちらがキエフ・ルーシを正統に継承するかをめぐっては諸説ありますが、いずれにしても、両国は民族的・文化的に共通点をもっているといえるでしょう。
現在も、ウクライナには東部を中心にロシア系住民が2割程度おり、公用語はウクライナ語ではあるものの、ロシア語を話す人もたくさんいます。
ウクライナは、ソ連を構成していた国々の中で、人口や経済的重要度がロシアに次ぐ2位であり、戦争が始まる前までは、ロシアとの貿易も盛んに行っていました。ロシアにとってウクライナは、経済的に重要なパートナーでもあったのです。
ソ連vsアメリカの「冷戦」時代
かつて、ロシアを含むソ連を中心とする東側の国々と、アメリカを中心とする西側の国々に、世界が二分された時代がありました(この「東西」とは、ヨーロッパを中央に描いた世界地図で見た場合の東西です)。いったい、東西はなぜ対立したのでしょうか。
その理由は考え方の違いでした。アメリカは資本主義、ソ連は社会主義という考え方をもっていました。
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