「3億円タワマン」の下に経営難に陥る創業130年の下駄屋がある街「月島」 新住民と旧住民の間にある"大きな経済格差"によって見えた深い分断

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相田書店、三代目の店主 相田俊郎さん(65)が話を聞かせてくれた。

「うちは創業が大正元年(1912年)頃だから、今年で113年目ですね。東京都中央区で100年を超える書店は丸善、教文館、そして相田書店だけです。

このあたりは戦争で燃えなかったんですよ。隅田川のすぐ向こうに聖路加病院があるでしょ、だからアメリカの爆撃機もさすがに爆弾を落とせなかったんじゃないかって、地元では言われていますよ」(相田さん)

タワマンが建ち並ぶ地元について、相田さんはこんな印象を持っている。

「タワマンはね、実は慣れっこなんですよ。この先の佃島にリバーシティ(ウォーターフロントのさきがけ)が整備されはじめたのは僕が20代のころの約40年前で、背の高いマンションがどんどん建設されたんです。その後に再開発の波がこっちにまで伸びてきたという感じですね。だからタワマンにはあまり驚かない」

相田さんは再開発と地元商店街の成り立ちの違いを次のように語る。

相田俊郎さん
相田書店の三代目 相田俊郎さん(筆者撮影)

「この西仲通り商店街は、自然発生的にできた商店街です。店舗が並ぶというよりは、夕方以降に露天商みたいな人たちが集まって商売をしていた。

佃島のリバーシティは石川島播磨重工の工場跡地に整備されたんだけど、工場があったころは、このへんにも下請けの町工場がたくさんあって、夕方以降に職人さんたちが露天で買い物をしていた。

現在ではタワマンを含めた再開発で、すっかりきれいになったけど、かつてはもっと猥雑な街だったんですよね」(相田さん)

「うちの店は自分の代で終わりにする」

その後、2000年に大江戸線の月島駅が開業して、外からの人流が急増したのだそう。もんじゃ焼き屋もその頃から注目されるようになったという。

「もんじゃ屋さんもあれば、うちのような100年以上の店もあるし、新しいスーパーマーケットもできている。新旧が仲良くやっているのがこの街の特徴かもしれませんね。

タワマンの影響ですか、まぁ、あまり感じないけど、ビル風はすごいよね。自転車が倒れたり、発泡スチロールが飛んできたり、それも街の特徴といえば特徴ですよ(笑)」(相田さん)

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