月島の築島は2回に分けて行われた。お隣の佃島の先の砂州が、1891年(明治24年)に1号地として整備され、1894年(明治27年)に2号地が誕生した。当初はそのまま「築島(つきしま)」と呼ばれていたらしい。
それが「月島」に変更された経緯は、「江戸湾の観月の名所にちなんで」とか「築地と区別するため」など諸説あるようだ。

絶滅危惧種だからこそ常連さんがいる
19歳のときに父親が亡くなり、店を継ぐことになったのは50年以上前のこと。楠さんは当時のことをこう語る。
「子どもの頃から、店の道具で遊んでいたから、門前の小僧じゃないけど、履物の修理やなんかはすぐにできましたよ。
今は雪駄(せった)や草履(ぞうり)も扱っているけど、もともとは下駄の専門店なんですよ。築地に市場があった頃は、そこで働く人たちがよく来てくれていました。
市場ではみんな長靴を履くでしょ。ずっと履いていると蒸れるんだね。だから仕事が終わると下駄に履き替える。そんなお客さんが多かった。でもうちみたいな履物屋はもう絶滅危惧種ですよ」

楠さんは苦笑いして続ける。
「同業者がどんどん廃業していくから、鼻緒が切れたっていっても、修理する店がない。そんなわけで、うちを訪ねてきてくれる。そんな常連さんたちに支えられている感じですね。
最近はインバウンドで月島も海外からのお客さんが増えているんだけど、もんじゃを食べたら帰っちゃう。タワマンが増えて、人口は右肩上がりみたいだけど、タワマンの人は寝に帰ってくるだけだし、下駄は履かないでしょ。
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