教育改革の嚆矢となる「シモキタカレッジ」の挑戦 「互いからの学び」に込めた教育起業家の思い

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これはアメリカも同じなのですが、目上の人や、違う学部の特に話す理由がない同級生に対して、会いましょう、今度ご飯でも行きましょう、と言うのはなかなか心理的ハードルが高いですよね。このようなハードルの高さが、自分の世界を広げる機会を妨げます。

その障壁をできる限り低くしてあげようという装置がカレッジなのです。寮に夕食に戻るだけで、普段はハードルが高くて話せない先輩研究者、あるいは年配の教授たちと、フラットな立場で、特段の理由を求められることなく自然と接点ができる。おまけに自分が住む寮ですから、時間的な制約もありません。

寮の呼称の違いや仕組みの濃淡はありますが、トップ校のほとんどではこうしたカレッジでのレジデンシャル・リベラルアーツ教育と呼ばれる全寮制の学部教育が採用されており、さまざまなハード面やソフト面の設計がなされています。英米以外でもアジアや中東のトップ大学の多くもこの仕組みを取り入れています。

自分の人生が変わる「ひと言」

仕組みの簡単な例をあげると、私の寮は食堂を通らないと自分の部屋に行けない構造になっていました。食堂は寮の中で一番広く、ソフトドリンクとコーヒーが飲み放題で置いてあるので、日本の学生がカフェやファミレスで勉強するように、多くの学生が勉強のために食堂に集まります。

そうすると、夜、図書館に行こう部屋を出ると、食堂で顔馴染みの友人に会う。そこで声を掛けられ、どうせ宿題をやるなら、食堂でいいか、となる。そこには初めて会う人もいて、互いに自己紹介して、といった感じで、いつの間にか違う学年、違う学部、場合によっては大学院生や、寮の先生や訪れるOBと親交が生まれていくのです。

また、丁寧に設計された共同生活は心理的安全性も育み、会話の量だけでなく、質も高めることになります。

もちろん、日々の親交の中で生まれるのは他愛のない話がほとんどです。しかし、数年間も毎日話していれば、時に人生が変わるような話やひと言に出会うことがあります。あとから振り返ってみれば、「ああ、あのときの会話に人生観が大きく影響された」とか、「あのときのひと言で自分の進路が決まった」という経験が生まれるわけです。

わかりやすい例だと、フェイスブック(現メタ)はルームメイト同士が寮で時間を過ごす中で作ったスタートアップですし、『セッション』や『ラ・ラ・ランド』という映画は、私の寮でルームメイトだった先輩の2人が、卒業後に映画監督と音楽監督になり、共作したものでした。

こうした具体的なプロジェクトに至らずとも、多くの卒業生が自身の学生体験を振り返った時に思い出すのは、カレッジでの学びであり体験だと口を揃えます。

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