幼少期から刷り込まれる「石の上にも三年」の呪縛…なぜ人間だけが"やめる"ことに罪悪感を覚えるのか

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本稿では、そういった「やめられない」という思い込みから抜け出すための方法についてご説明したいと思います。

動物は「やめる」のも諦めるのもうまい

みなさんは、動物が「やめる」のがうまいってご存知ですか?

動物は本能で生きていますから、単純に目の前に障害物があれば、何も考えずにそれを回避します。また、自分の縄張りでエサを探しても見つからなければ、さっさと探す場所を変えるために移動します。

科学ジャーナリストのジョナサン・ワイナーが書いた『フィンチの嘴(くちばし)』(早川書房)によれば、忍耐強いフィンチ(アトリ科の鳥)は生存確率が低くなるそうです。

動物が忍耐強いと、自分の飢えを満たしてくれる可能性の低いことに挑み続けてしまいます。

頑張っても報われないことに全リソースを割いてしまえば、その生き物は容赦なく死んでしまうのです。ですから、動物たちは、生き残るために「やめる」ということを当たり前のようにしています。

やめることが、彼らの命に直結していることだからです。

しかし、人間はどうでしょうか。人間も動物の一種と言えばそうですが、鳥や獣類とは異なり、文明社会を築き、言語によるコミュニケーションを行い、高い知能と理性を持つ「社会的な動物」です。

そのため、わたしたち人間は、人生を守るために「やめる」という選択肢を選びにくい状況になってしまっているのではないでしょうか。

「この仕事はやめたほうがいい、そのほうがストレスなく生きていける。これ以上働いていては体も心ももたない」と本人は思っていても、家族や同僚、上司から反対されると、「そうか、じゃあもう少し我慢しよう」とやめることができなくなってしまう。

でも、その仕事をやめなかったことで、ストレスによって体の調子を崩し、寿命が縮んでしまう可能性だってあるのです。

これは、まさに動物たちが置かれている「何かをやめなければ死んでしまう」という状況に本質的に似ていると思いませんか。

やめなければ死んでしまうのに、社会的なしがらみや人間関係によって、「やめたほうがいい」という本能の声を抑え込んでしまっているわけです。

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