
銃好きの暴君「徳川重倫」が治めた紀州藩の和歌山城(写真:kazukiatuko/PIXTA)
NHK大河ドラマ「べらぼう」では、江戸のメディア王・蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)を中心にして江戸時代中期に活躍した人物や、蔦重が手がけた出版物にスポットライトがあたっている。連載「江戸のプロデューサー蔦屋重三郎と町人文化の担い手たち」の第27回は、蔦重と同時代を生きた紀州藩の暴君・徳川重倫について解説する。
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「べらぼう」で話題の暴君よりも凶悪だった徳川重倫
NHK大河ドラマ「べらぼう」で、俳優えなりかずきの「怪演」で話題となっているのが、松前藩8代藩主の松前道廣だ。ドラマでは、宴会の余興とばかりに、桜の木にくくり付けた女性を標的にして火縄銃を発砲するなど、暴君ぶりを発揮している。
実際の松前道廣は、どんな人物だったのか。藩の財政が逼迫するほど遊興にふけって、寛政4(1792)年、幕府から隠居を命じられている。名君とは言い難い人物だったようだが、残虐な暴君だったという記録は残っていない。
だが、実際に鉄砲をぶっ放して、幕府で問題視されるほどの暴君が同時代にいた。紀州藩の8代藩主・徳川重倫(とくがわ しげのり)である。
なにしろ重倫が一度、癇癪を起こしたならば、周囲は誰も止められなかった。90センチあまりの大きな刀を振り回しては、御殿のなかを駆け回る。侍女たちの叫び声が響きわたるような状況だったというから、あまりにもカオスだ。
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