「埋め立てられたのは100年前」「昭和は造船工場だった」…。若い家族が選ぶタワマンタウン・豊洲で「ららぽーと」が果たした役割

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戦後になると都営住宅が建てられ、街が整っていった。1965年には外郭堤防が完成し、街がより安全になった。 

実は日本初のコンビニができたのは豊洲。1974年5月にセブン-イレブンの1号店がオープンした。セブン-イレブンの公式ホームページを見ると、コンビニ自体が知られていない中で、「便利で重宝なお店」とのうたい文句でその便利さを伝えたことが記されている。 

豊洲は、今ではインフラとして欠かせない存在であるコンビニの発祥地という歴史も持っているのだ。 

「アーバンドック ららぽーと豊洲」の開発経緯 

1980年代の後半になると、IHIがデベロッパーらとともに工場跡地の開発の検討を進めた。「アーバンドック ららぽーと豊洲」を含む豊洲2・3丁目の大半は、IHIの造船工場であった。 

2002年に工場が閉鎖。同年、IHIは芝浦工業大学・独立行政法人都市再生機構と「豊洲2・3丁目地区開発協議会(現・まちづくり協議会)」を発足する。 

IHIと共同で三井不動産が開発したのが「アーバンドック ららぽーと豊洲」だ。2006年10月に、全190店舗と都内でも有数の規模でグランドオープンを迎えた。この時点では「ららぽーと豊洲1(旧・本館)」と、「ららぽーと豊洲2(旧・アネックス館)」のみであった。 

「アーバンドック ららぽーと豊洲」の開発テーマは、「寛ぐ・潤う・遊ぶ」である。都市での生活をサポートすること、潤い・憩いをもたらすことを目指し、それをかなえるテナントが誘致された。 

そもそも「ららぽーと」とは、三井不動産が展開するRSC(リージョナル型ショッピングセンター)だ。ショッピング以外の楽しさを提供し、地域コミュニティの核となることを意図して開発されている。2025年6月時点で日本全国に20施設あり、海外にも4施設出店している。 

前編で「さすが『ららぽーと』とあって、ファミリーへの配慮が抜かりない」と述べたとおり、「ららぽーと」では「ママwithららぽーと」というママとファミリーが楽しく安心して過ごせる取り組みが行われている。 

「ママwithららぽーと」のイメージ画像(出典:三井不動産商業マネジメントニュースリリース) 

その他、衣料品回収プロジェクトをはじめとしたエコ活動「&EARTH」は2007年から行われている。商業施設でのエコ活動は今でこそ珍しくないが、先駆けとなり現在まで継続している三井不動産は「すごい」の一言に尽きる。

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