「成功したのは実力のおかげ」と考える人や「失敗したのは自分のせい」と考える人は、なぜ偶然の影響を無視してしまうのか

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あなたはルーレットで負けたとき、お前は役立たずの失敗者だ、などと自分を鞭(むち)打ったりはしない。そうする代わりに、それを偶然の結果として受け容れ、先へと進む。

物事が絡み合った複雑な世界からは無意味で偶然の結果がしばしば現れ出てくることを認めれば、力づけられ、気持ちが楽になる。うまくいってもすべて自分の手柄にせず、うまくいかなくてもすべて自分の責任にしなくていいのだ。

一見ランダムに起こる不運に直面すると、私たちはとりわけ、偽りの説明をでっち上げてそれにしがみつきがちだ。

癌(がん)になったり自動車事故に遭ったりしたときには、ランダム性をその原因とするような説明は、簡単には受け容れられない。良くない出来事には、何か理に適った背景説明が求められる。

自分が経験した苦難の本当の理由を突き止めなければ、不運から立ち直るのは不可能に思える。だがそれは、わけもなく起こった災難かもしれない出来事に、ありもしない理由を追い求める行為となる。

「万事は理由があって起こる」という言葉は、失業したり、不意に恋人に別れを告げられたり、誰かが亡くなったりしたときにごく頻繁に聞かれる。それは一種の対処メカニズムなのだ。

その言葉は、無意味なことから意味を引き出し、あらゆることには整然とした秩序立った計画があるという神話で自分を慰めるのに役立ちうるが、真実ではない。有用で人をホッとさせるフィクションだ。

人生の方向を変えるもの

重要なことや、癪(しゃく)に障ることや、ゾッとするようなことさえ含めて、物事はただたんに起こる場合がある。すべてが相互に関連し、混沌とした世界では、それは避けようのない結果なのだ。

巡り合わせやミス、そして何より、良くも悪くもない思いがけない変化が、新しい種を生み出し、社会を形作り、私たちの人生の方向を変える。

逆に、人は宝籤(くじ)が当たるといった、予想外の良いことを経験すると、その納得のいく説明として、ランダム性や偶然性を喜んで受け容れることが研究からわかっている。

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