木下街道は江戸川沿いの行徳河岸と利根川沿いの木下河岸を直線的に結んだ江戸時代以来の街道で、銚子方面の海で獲れた鮮魚を江戸に送るためにも使われたという。
そういう街道が千葉県西部にはいまもいくつか残っている。線路の脇にある馬込天満宮も、街道筋ならではのお社なのだろうか。この一帯がいまのような住宅地になったのは、1970年代以降のこと。里山を切り開き、ベッドタウンとして変貌していった。

馬込沢駅東口。ロータリーのような駅前広場はなく、すぐに生活道路に出る(撮影:鼠入昌史)
郊外の歴史が凝縮
のどかな里山風景が、ベッドタウンへ。まるで戦後の東京近郊がたどった歩みが凝縮されているような、東武アーバンパークラインのこの区間。“アーバンパークライン”の名称は、そうした歴史をも内包しているのかもしれない。

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