実は「日本発祥スイーツ」ミルクレープが人気上昇中、"生みの親"が語る専門店誕生の舞台裏。ミルクレープ発想の原点はラザニア

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当時は1枚1枚手焼きしていたため、店ごとに1日1台などと製造を制限せざるを得ないほどで、とても全国展開には対応できない。そこで1993年頃、オーナーが作った別会社に移り冷凍ケーキとして開発する。ドトールが本格的に売り出したのは1996年だ。

関根氏は、その後数年京都で自分の店を開いて畳んだ後、東京に戻ると昔の同僚に偶然会い、「最近、巷のミルクレープがおいしくないよね」という話になった。「生地が厚過ぎたり、焼き過ぎていたり。クレープ生地あってのミルクレープなのに、クリームを重視し過ぎている」店が多いのが気になったという。

「元祖の俺たちが、もう1回本物を見せてやろうじゃないの」と「エルカフェ」という会社を立ち上げ、冷凍ミルクレープを通信販売し始めたのが2010年だった。

すると翌年、楽天が主催する「第一回 O-1(オーワン)グルメ決定戦」で準グランプリに輝き、スイーツ部門で1位を獲得した。2014年には東急プラザ蒲田で実店舗も開業。「ディーン&デルーカ」にも卸し、大宮店も開いた。

理想的なクレープを大量生産

蒲田店へ来店したシュゼットの蟻田社長が、味に感激して工場も訪問。「『これ以上のクレープはない。世界一だから』と生意気な言い方をしたのに、するとあるとき、蟻田社長が『一緒にやりましょう』と言ってくださった」と関根氏は話す。

シュゼット・ホールディングスがエルカフェを買収し、関根氏は移籍。シュゼットグループのミルクレープ専門ブランドにするべく、大量生産の準備を始める。

1年後にようやく見つけた町工場で、20枚の鉄板が回転ずしのレーンのように回る中、職人が手作業で生地を管理し、最大1時間500枚焼ける機械を開発した。

「一般的にクレープを大量生産する会社は、ドラムの内側にクレープを貼りつけ、1周回ると焼けてはがれる機械を使います。その際、高熱にしないと薄いクレープの生地は途中ではがれてしまう」と説明する関根氏。

彼のミルクレープは弱火で作る。京都時代、1人でクレープを焼く必要に迫られたが、同時並行で焼くと、他のフライパンを見ている間に焦げてしまうことがあった。

そこで火を弱めたところ、「ちょっと薄くてパリッとした感じの生地が焼けた。『ダメかな』と思ったんですが、クリームを挟んでしばらく置くと、元の乾いた感じとクリームでしっとりする感じが一体になって、ちょうどいい歯ごたえになる」ことが分かったのだ。

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