フジテレビが《最もクリーンなメディア》になる? 「楽しくなければテレビじゃない」脱却宣言と「アナウンス室の独立」が示す“苦しすぎる事情”
「アナウンス室の独立」と「『楽しくなければテレビじゃない』からの脱却」にはどんな意味があり、何が期待され、何が失われるのでしょうか。
まず「アナウンス室の独立」には、どんな意味があるのか。
真っ先にあげておかなければいけないのは、これまでの“使う側と使われる側”という不平等な関係性が解消されること。騒動のきっかけとなった飲み会の誘いを断りやすくなるなど、ハラスメント予防や人権保護につながっていくでしょう。
これまで各局の社員やアナウンサーと取材、収録、打ち合わせなどで対面してきましたが、そのたびに気になっていたのは、フジテレビに限らずアナウンサーにマウントを取るような社員の姿。
男女を問わず、外部の人に「自分はこれだけ有名できれいなアナウンサーに指示を出し、従わせられる」というニュアンスの言動を見せる人が少なくなかったのです。
今回フジテレビが公表した文書には、「番組との調整役を果たす“コーディネーター制度”を創設し、番組への起用方法、マネジメントの流れを見直します」という文言がありました。コーディネーターの採用は平等な関係性を保つためであり、「これまでの空気から言いづらい」「無言の圧力でなし崩しにされる」という不安の軽減にもつながります。
また、アナウンス室が独立し、一定の権限を持つことの効果はそれだけではありません。「アナウンサー側から起用の意見が通りやすくなる」「スキルや性格などに応じた適材適所の配置につながる」「アナウンス室主体の育成が可能になり、技術アップが見込める」などのメリットが期待できます。

アナウンサーは特殊なポジション
ただ、アナウンス室主導の番組出演が増えると、出演数や出演番組のジャンルが均等化され、これまでのような「局を代表する人気アナウンサー」「特定ジャンルの絶対的なアナウンサー」は生まれづらくなるかもしれません。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら