アメリカへの留学生数「韓国は日本の約4倍」という衝撃!減少の一途の日本人の海外留学生数、根底に「日本の企業は”留学経験”を評価しない」
では、60年代における日本からアメリカへの留学生は、どんな生活をしていたか?
その当時勤務していた大蔵省での私の初任給は、月1万8000円程度だった。その後増えて、留学した時点では、月2万3000円程度になっていた。
ところが、留学先であるカリフォルニア大学ロサンジェルス校の周辺で、最も安いアパートの賃料が、月額100ドルだった。円に換算すれば3万6000円で、月給の1.56倍。
Studioというワンルームで、かなり広かったし、シャワーがあった。台所は隣部屋と共同利用だが、熱湯が出た。シャワーさえあれば台所で湯が出なくてもいいと思ったのだが(その頃の日本では、湯が出ない家庭が普通だった)、そのようなアパートはなかった。そして冷暖房完備(日本では、一般の住宅に冷房は普及していなかった)。
これ以下のグレードのアパートは存在しないのだ。カリフォルニア大学の周辺はウエストウッドという高級住宅地で、アメリカでも最も家賃が高い地域の一つなのだが、それにしても高い。
学費は奨学金でカバーできたが、食費などの生活費がかかる。日本では、初めて買った車を通勤に使っていたが、アメリカではとても買えない。ロサンジェルスに住んで車を持っていないとは、通学以外には、バスを乗り継いで大変な苦労をしないと、どこにも行けないことを意味する。
ダウンタウンの商店には、眼もくらむような豪華な商品が並んでいた。
いまは1960年代とあまり変わらない状態
いま、アメリカのアパートの家賃はどのくらいだろうか? ウエストウッド地区のStudioで検索してみると、月2000ドル程度だ。当時の20倍になっている。1ドル=155円で換算すると、31万円だ。
一方、日本の公務員の給与は、当時の10倍程度だ。だから、円でいうと、ウエストウッドの家賃は、給与の約1.35倍だ。
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