恋川春町に、朋誠堂喜三二…看板作家たちが次々去り、ピンチに陥った《蔦屋重三郎》のその後
『江戸生艶気樺焼』は、金持ちの一人息子・艶二郎を主人公としています。艶二郎は、不細工であったものの、自惚れ強く、また悪友に唆されたこともあり、色男の評判を高めたいと考えます(ちなみに、艶二郎の鼻は獅子鼻で、目立って描かれています)。
芸者に50両を与えて、艶二郎に惚れたと家に駆け込ませると、それを瓦版で売り込んだり、吉原の遊女と狂言心中を行うなどの「売名行為」に奔走した艶二郎。
しかし、それらはことごとく、失敗に終わります。艶二郎は、情死の真似事の最中に、泥棒に身ぐるみ剥がされるのです。
実は、それは艶二郎の父と番頭が仕組んだ「狂言」でした。艶二郎を改心させるために、少し手荒な所業に出たのです。
そのことを知った艶二郎は、とうとう改心するというのが『江戸生艶気樺焼』の概略です。京伝がこうした作品を書けたのは、吉原に出入りしていたことが大きいでしょう。
山東京伝は「希望の星」だった
さて、天明5年、蔦屋は京伝の黄表紙を4作品も刊行しています。鶴屋は2作品だったことを考えれば、重三郎と京伝との、吉原でのこれまでの交歓が実を結んだ結果と言えるのかもしれません。
京伝の才能に目を付けた重三郎は、彼と交流を重ね、ついには、鶴屋を抜くほど著作を執筆してもらえるようになったのです。
冒頭に述べたように、喜三二、春町という看板作家を失ったことは、重三郎にとって、打撃だったでしょうが、重三郎の手中には、京伝というマルチ文化人がおりました。
寛政の改革が進行するなかでも、京伝は著作を次々と刊行していくことになりますが、重三郎にとって、京伝はまさに「希望の星」だったのではないでしょうか。
(主要参考引用文献一覧)
・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002)
・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024)
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