「松平定信の批判本」を続々刊行 大儲けした蔦屋重三郎が食らった "しっぺ返しと悲劇"

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まず、同書も恋川春町の『悦贔屓蝦夷押領』と同じく、舞台は鎌倉時代です。鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝や、坂東武者の鑑と言われた武将・畠山重忠らが登場します。

頼朝は、鎌倉において文武に励む者(大小名)がそれぞれどのくらいいるかを調べよと命じます。それに対し、畠山重忠は「文武の何れでもない、ぬらくら(はっきりしない)武士が多いので、その者らを、文武二道のどちらかに分けて、お目にかけましょう」と答えます。これは、文武の功績者を調べるよう命令した松平定信の行為を皮肉ったものでしょう。

「ぬらくら武士」を識別し、箱根七湯でさらして、文武いずれかの士たらしめようとし、惰弱を戒めるというのが『文武二道万石通』の構想です。

ちなみに、同書の絵は、喜多川歌麿の門人・喜多川行麿が描いています。頼朝の衣服には「頼」という文字が入れられていますし、畠山重忠は梅鉢紋の裃を着ています。松平定信は、梅鉢紋が家紋ですので、重忠は松平定信を指していることがわかります。

描かれた頼朝の顔を見ると、髭も生えておらず、まだ少年のよう。ここから、頼朝は、若くして将軍位に就いた徳川家斉を表していることが理解できるでしょう。

このことは、松平定信の家臣・服部正札も承知していて「公方様を頼朝公、此方様(定信)を重忠」(随筆『世々之姿』)と記しています。

またもや定信の政策を批判する本を刊行

『文武二道万石通』が刊行された翌年(1789年)には、恋川春町の『鸚鵡返文武二道』や唐来参和『天下一面鏡梅鉢』といった黄表紙が蔦屋から刊行されます。春町の『鸚鵡返文武二道』は、その書名からもわかるように、これまた定信の文武奨励策を皮肉ったものでした。

大河ドラマ べらぼう 蔦屋重三郎 松平定信
松平定信ゆかりの白河の関(写真: TAKEZO / PIXTA)

『鸚鵡返』は作者は異なりますが、『文武二道万石通』の続編とも評され、話題となりました。

『天下一面』は「醍醐天皇というのは、聖徳著しい君主であり、御年十三にして、天皇位を受け継ぎ、右大臣・菅原道真公が師範として、その政治を補佐された。仁(慈しみ)を持って、民衆に施したので、天下は一層治まる」という出だしですが、醍醐天皇(平安時代前期の天皇)は、徳川家斉を指します。

そして、菅原道真は、松平定信を表しています。道真の仁政により、世はよく治り、火山灰の代わりに小判が降り、米は豊作で、年貢も順調という幸福な社会が『天下一面』で描かれるのです。

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