できる子の親は「褒める」も「怒る」も最小限! 子どもが勉強しないとき、親は何をすべき?

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これまでの話をまとめると、こうなります。

通常モードと非常モードで考えよう

通常モード→ 「承認」
非常モード→ 「褒める」(子どもの心が自信を喪失しているときや、異常なほどの成果を上げたとき)

実は、叱る場合も怒る場合も、通常モードと非常モードがあるのです。ですから通常は叱ったり、怒ったりはあまりしません。

通常モード→ 「説諭」(せつゆ:行いを改めるように言い聞かせること)
非常モード→ 「叱る」(人の道に反したとき)
       「怒る」(今この瞬間に激を飛ばさないと一生後悔させることになると思ったとき。緊急非常事態)

通常、私は「説諭」つまり、「教え諭す」ということをします。急に感情的に怒るようなことはしません。大概は、子どもは悪いことをしたときに、自分が悪いことをしたという認識をしていますから、説諭を真剣モードで行うと、それなりに効果があります。

しかし、ときには「叱る」「怒る」ことが必要になります。この2つの言葉はよく混同されて使われているので、「怒ると叱る」の違いについて、ここでお話しておきましょう。

辞書的な説明は抜きにして、「怒る」は感情的で、「叱る」は教育的という感じです。つまり、感情的になることはあまりよいことではなく、教育的なことはよいと思われる背景があるため、一般に「怒るはダメ」「叱るは良い」と考えられています。

しかし、「怒る」ことが重要なこともあります。“雷を落とす”と表現されるように、一撃で相手を修正させるために、「怒る」ことも必要でしょう。ただし使い方を間違えると、後々大変なことになるため、それなりの覚悟は必要です。怒る場合も「行為」に対して怒るのであって、「人格」を否定してはならないことは言うまでもありません。

そして、「怒る」は伝家の宝刀であり、やたらめったらと使うものではありません。いつも使っていると、やがて利かなくなっていきますし、ひどい場合は恨みが残るだけで、後々にしこりを残してしまうことすらあります。

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