「検索してもなかなか出てこない…」東大1年生であえて"超難しい"言語を学んだ理由 学びの基礎となる《教養》の大切さ

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最初に見たときの感想は「わかるかこんなもん!!」でした。しかもこのヘブライ語には、母音がないんですよね。全部子音なため、母音は推測しなければならないのです。

なんて難しい言語なんだ!? と匙を投げそうになりましたが、実は文法や冠詞などから推定できると丁寧に教えてもらったため、なんとかヘブライ語を理解していくことができたのでした。

ヘブライ語を学ぶうえで最大のハードル

さて、ヘブライ語を学ぶうえで、最大の障害は何だと思いますか?それは、検索しようと思ったときのハードルがめちゃくちゃ高いということです。

例えば「英語のfishって日本語でどういう意味だっけ?」と思ったときに、私たちはキーボードの英字を頼りに、検索窓に「fish」という文字列を入力することできます。しかし、ヘブライ語のキーボードなんてありません。そこで、さまざまなサイトを使い、アルファベットで入力したものをヘブライ語に変換し、それをまた検索にかける……ということでなんとか調べていました。

読めない単語を調べることにすら大変苦労し、「アルファベットがぱっと見で読める」というのがどれだけ恵まれているのかを実感しましたが、「そもそも文字自体が違う言語をどう習得していくか」の方法論を学べたことはとても有意義な経験でした。

「ヘブライ語」の期末レポートでは、「建築家と皇帝」というヘブライ語の短い童話を読んで解釈するという課題が出されたのですが、なんとこの童話、日本語で調べても英語で調べてもまったくネット上で情報が見つからないのです。この現代において、こんなにネット上に存在しない情報ってあるんだ!? と驚くくらいです。

ヘブライ語の授業を受けなかったらこの話を一生知らなかっただろうと思うと同時に、ネット至上主義の社会の中で、ここまでネットに情報が上がっていない言語もあるんだ、世界は広いな、と感じさせられたのでした。

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