「検索してもなかなか出てこない…」東大1年生であえて"超難しい"言語を学んだ理由 学びの基礎となる《教養》の大切さ

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東大に入学した1年生は、全員「前期教養学部」という学部に入学することになります。「理3」の学生は医学部志望だ、などという話を聞いたことがある方もいらっしゃるかと思いますが、この「理3」の正式名称は「前期教養学部理科III類」、つまり前期教養学部の中の区分なのです。

医学部志望の人も、法学部志望の人も、東大の1、2年生は全員が前期教養学部の学生として、それぞれの専門に進む前に、さまざまな分野を文字通り「教養」として勉強するのです。

前期教養学部では、将来進学するであろう学部とは関係なく、好きな講義を履修することができます。理系の人も文系の授業を受けられますし、文学部の人も医療系の授業を受けることができます。最近話題の「リベラルアーツ」や「教養」というものを、東大では学部に進み、専門的な学問の道に入る前の学生に学ばせようとしているのです。

「教養」という言葉は、定義がかなり曖昧なものです。東大は、「教養」をどのように考えているのでしょうか?

それは、知識があることを前提としつつ、その知識を「どう結びつけるか」を考える能力だと言えます。

「知識を活かす能力を問う問題を出している」

東大の元総長である五神真氏は、東大の入学式で「東大入試は、最低限の知識を前提として、知識を活かす能力を問う問題を出題している」と語っていました。

その言葉通り、東大は日本一難しい大学と言われているにもかかわらず、教科書の内容を丸暗記したり、参考書を何冊も覚えたりしないと解けないような問題は出題されません。知識量の多寡ではなく、その知識の使い方を問うている出題が多いのです。

いくら知識を持っていても、その使い方がわかっていなければ何の意味もありません。教科書に書いてあることを全部暗記していたとしても、それを現実社会で、身の回りのことと「結びつけて」考えなければ何の意味もないのです。

そして、「結びつける」ことは、学問の純粋な「面白さ」だと思います。高校までに勉強した基礎が、現実社会の問題を解き明かし、解決するための施策として応用できるということに、面白さを感じている東大生は非常に多いです。

しかも、各分野の最先端を知る先生方に教えていただけるわけですから、「楽しい」という感想を持つ人が多いのも納得です。

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