「いつもボーっとしていて、不器用」→話下手な僧侶が名僧になった深い理由【心がつまづいたときに読みたい】

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良寛さんは、人間関係に悩んだかもしれませんが、そこから完全に逃げるようなこともしませんでした

人と出会うこと。言葉を交わし、手をとりあい共に事をなすこと。それは、楽しいことばかりではないかもしれません。たとえ親しい家族や友人が相手であっても、性格も価値観も異なる他人であることには変わりがないからです。

あなたがこれから出会う見知らぬ誰かも、あなたにとって心地よい人ばかりではないと思います。

街なかで偶然すれちがった誰かや、家が隣り合った誰かに深く傷つけられることもあります。人生の苦しみ、悲しみの少なくない部分は他人がもたらすものといってもいいでしょう。多様性が尊重される世の中は、同時に、異なる生き方や価値観を持った人たちが共存する難しさをはらんでいます。

それでもあきらめずに、私たちが他者と共に生きる術を模索し続けるのはなぜなのか。人里離れた山奥で仙人のような暮らしをしていれば、他者がもたらすストレスとも無縁にいられるかもしれないのに、誰もそれを望まないのは、なぜか。

山奥では不便だから、生活に支障があるから、ではないはずです。人との関わりが試練をもたらすものであると理解しつつも、人生の喜びもまた人がもたらすものだとよく知っているからではないでしょうか。

生きる喜びも苦しみも「出会い」が生む

我逢人」という言葉があります。これは「我、人と逢うなり」の意です。たとえどのような出会いであっても、出会いは必ず何かを生む。すべての物事は出会いから始まる。その尊さと喜びが込められています。

出会いとは、一つ残らず奇跡なのです。どんな出会いも感謝するべきものであり、蔑ろにはできません。

たとえ誤解や衝突から始まる出会いであっても、相手の言葉を受け止め、「この縁を、どうしたらいいものにできるだろう? どうしたらお互いに気持ちよくいられるだろう?」と試行錯誤することはできるはず。そのなかで私たちは影響を与え合い、信頼関係を育み、かけがえのない存在になるのです。

人と出会うことを、恐れてはなりません。その出会いをもたらしてくれた縁に感謝し、自分の成長の機会とするよう努めたいものです。

はじめから「強い人」はいない。弱さを受け入れるからこそ、強くなれる。良寛さんの生き方はその証左といえそうです。

枡野 俊明 「禅の庭」庭園デザイナー、僧侶

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ますの しゅんみょう / Shunmyo Masuno

1953年、神奈川県生まれ。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。芸術選奨文部大臣(当時)新人賞を庭園デザイナーとして初受賞。ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章を受章。2006年、『ニューズウィーク』誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」に選出。主な作品はカナダ大使館庭園、セルリアンタワー東急ホテル庭園「閑坐庭」、ベルリン日本庭園「融水苑」など多数。曹洞宗徳雄山建功寺住職、多摩美術大学環境デザイン学科教授。著書に『心配事の9割は起こらない』『仕事も人間関係もうまくいく放っておく力』(以上、三笠書房)など。

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