良寛さんは、人間関係に悩んだかもしれませんが、そこから完全に逃げるようなこともしませんでした。
人と出会うこと。言葉を交わし、手をとりあい共に事をなすこと。それは、楽しいことばかりではないかもしれません。たとえ親しい家族や友人が相手であっても、性格も価値観も異なる他人であることには変わりがないからです。
あなたがこれから出会う見知らぬ誰かも、あなたにとって心地よい人ばかりではないと思います。
街なかで偶然すれちがった誰かや、家が隣り合った誰かに深く傷つけられることもあります。人生の苦しみ、悲しみの少なくない部分は他人がもたらすものといってもいいでしょう。多様性が尊重される世の中は、同時に、異なる生き方や価値観を持った人たちが共存する難しさをはらんでいます。
それでもあきらめずに、私たちが他者と共に生きる術を模索し続けるのはなぜなのか。人里離れた山奥で仙人のような暮らしをしていれば、他者がもたらすストレスとも無縁にいられるかもしれないのに、誰もそれを望まないのは、なぜか。
山奥では不便だから、生活に支障があるから、ではないはずです。人との関わりが試練をもたらすものであると理解しつつも、人生の喜びもまた人がもたらすものだとよく知っているからではないでしょうか。
生きる喜びも苦しみも「出会い」が生む
「我逢人」という言葉があります。これは「我、人と逢うなり」の意です。たとえどのような出会いであっても、出会いは必ず何かを生む。すべての物事は出会いから始まる。その尊さと喜びが込められています。
出会いとは、一つ残らず奇跡なのです。どんな出会いも感謝するべきものであり、蔑ろにはできません。
たとえ誤解や衝突から始まる出会いであっても、相手の言葉を受け止め、「この縁を、どうしたらいいものにできるだろう? どうしたらお互いに気持ちよくいられるだろう?」と試行錯誤することはできるはず。そのなかで私たちは影響を与え合い、信頼関係を育み、かけがえのない存在になるのです。
人と出会うことを、恐れてはなりません。その出会いをもたらしてくれた縁に感謝し、自分の成長の機会とするよう努めたいものです。
はじめから「強い人」はいない。弱さを受け入れるからこそ、強くなれる。良寛さんの生き方はその証左といえそうです。
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