「子どもたちとかくれんぼしていた良寛さんは、日が暮れて子どもたちが家に帰っても隠れ続けて、翌朝になってやっと見つかった」
「良寛さんの草庵に忍び込んだ泥棒のために、寝入っているふりをして布団を差し出した。泥棒が出ていってから窓の外を眺めて『盗人に 取り残されし 窓の月』という句を詠んだ」
純粋で、どこか温かみのある良寛さんの生き様に、今も多くの人が救われています。
一方で良寛さんは、自分の弱さをみつめ、弱さと共に生きた僧侶でもありました。
仲間に馴染めずノイローゼに
神職の家に生まれ、父親は村の名主で、学問にも明るい。良寛さんは、子どもの頃から何不自由のない暮らしを与えられて、そのまま出世する道を歩むかに思われました。
ところが良寛さんは、そうした恵まれた境遇から逃げるようにして出家するのです。勝ち負けを競うのが苦手で、動作はのろく、昼間につけた明かりのようにぼんやりとして役に立たないことから「昼行灯」といって笑われる始末。結局「とうてい自分に名主は務まらない」といって、家督を継がず、弟に譲ってしまいました。
そんな良寛さんですから、お寺での修行にも苦労したようです。
岡山の倉敷にある円通寺で11年間修行をしたのですが、当時を回想して「乃ち一人だに識らず(仲間に馴染めなかった)」と書き残しています。
朝晩の坐禅以外の時間も「独参」といって、師である国仙和尚の部屋にいき教えを乞うたとありますから、全身全霊に修行に打ち込むあまり、「なんだい、あいつ」と白い目で見られたのかもしれません。
仲間外れにされた心痛を和らげるため呼吸を整え、感情を整えようと努めるのですが、「磨けども磨けども煩悩が湧いてくる自分に情けなさを感じて涙した」とか。その頃には、半ばノイローゼのような状態になっていたのでしょう。
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