もう10年以上前の話になる。京都大学では、当時の松本紘総長が「後期試験に代わる選抜試験」の導入を検討していた。私も早稲田大学法科大学院で入試を設計した経験があるため、松本元総長より直々に相談を受けていた。
しかし、担当副総長はあまり乗り気ではなかった。むしろ後ろ向きだった。現状の試験で十分だとの判断だった。あるとき、この副総長にあるところから呼び出しがかかった。そこで、こんなことを言われた。
「東大や京大の入試問題は、世界一よくできているし、世界一難しい出題かもしれない。しかし、卒業生の活躍を見ると、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)に見劣りするのはなぜか」
この問いを発したのは「人事院」である。つまり、国家の意向と言っても過言ではないだろう。
このひと言で、副総長は翻意して、特色入試を設計した。
「どのように学ぶか」への転換
国立大学が定員の3割を学力試験以外で入学させることを目標として10年が経った。
この大学入試改革と時を同じくして、高校の学習指導要領には「探究」が導入された。「なにを学ぶか」から「どのように学ぶか」への転換がなされている。知識の獲得を目指す知識偏重の教育ではなく、知識をどのように獲得してどう使うのかに重点を置く教育が求められている。
こうした教育の転換の必要性は「エリート企業」で働く人たちであれば十分に理解できることだろう。優秀さの基準も、時代の変化に応じて、同じように転換するのだ。
国際社会では、日本人を評して「まじめでコツコツと仕事をする。経理業務などではとても優秀だ」とよく言われることがある。この優秀さがあっても、これらの業務はやがて人工知能(AI)に置き換わってしまい、
未来を生きる若者には、新しい価値観による優秀さが求められる。だから、教育も大学入試も変わるのだ。
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