「俺は好きな物を食べる!」膵臓がんの闘病中でもカツ丼やラーメンも 56歳で亡くなった「倉田真由美さんの夫」の人生の優先順位
――叶井さんの病気がわかってから、倉田さんが心がけていたことはありますか?
心がけていたというわけではないですが、今から思うと、いちばん大きいところでぶつからなかったのはよかったですね。私がもし「抗がん剤やってよ、手術を目指してよ」って思っていたらしんどかったでしょうけど、そうは思わなかったので。
一方で、夫と私で足並みが揃っていたかっていうと、必ずしもそうではないです。私は少しでも長く生きてほしかった。でも、夫はそんなことまったく考えてなかったです。
夫って、良くも悪くも先のことも過去のことも考えない人なんです。ふつう家族を残して自分が先に死ぬってなれば、残された家族のことが心配だとか、少なくとも子どものことが心配だとかあると思うんですけど、それすらもなかったですね。とにかく楽しく生きようって。
「死にたくない」とは最後まで言わなかった
――状況は深刻だったかもしれませんが、日々を面白がっている感じがしました。
本にも書きましたけど、家で死んだふりとかするんですよ。入院中に「手術に失敗した」って電話で言ってきたりしてね。びっくりしますけど、そういうのは面白かった。それこそ笑いのツボが似ているというか。夫の冗談って怒っちゃう人は怒っちゃうけれど、少なくとも私は好きでしたね。
もし夫が「死にたくないよ」って言ってきたら、つらかったと思うんですよ。それを止めることはできないし、嘘もつきたくないから。でも、夫は「痛いの嫌だよ」とは言ったけれど、「死にたくない」とは最後まで言わなかったです。

――余命は「どんなに長くても1年」と言われたけれど、1年9カ月生きました。
私はあの日、死ぬって思ってなかったです。だって、少し前までファミチキ食べていましたし……。末期がんでしたから、急な死じゃないでしょって言われたらそう見えるのかもしれないけど、私にはすごく急なことでした。
――1年経ちますね。
私は10年くらい前に大好きだった祖母を亡くし、2年前には父も亡くしています。でも、祖母や父とは全然、違う。夫のことだけはいつまでも悲しくなってしまうんです。1年以上経つんだけど、すぐに泣いてしまう。
ものの考え方とか、やることとか、人生の選択の仕方とか、夫という人間そのものがとても好きだったし、尊敬をしていたから、ずっとこだわってしまうんだと思います。
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