鬼怒川水害「二審勝訴」でも原告に笑顔ない事情 堤防整備のあり方を問題視したが、認められず

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利根川合流地点から21kmの三坂町の上三坂地区。水害後に整備された堤防の上で、当時の状況を説明する原告団共同代表の片倉一美さん(撮影:河野博子)

大阪府大東市の住民が国、府、市を相手取った損害賠償請求訴訟で1984年1月、最高裁第一小法廷は行政の河川管理責任を限定的にとらえる判決を下した。もともと危険性をはらんだ河川の管理の欠陥を道路と同じように判断してはならない、治水事業は財政、技術、社会的に制約され、堤防など施設の整備は「過渡的安全性」で足りる――とした。

この最高裁判決以降、水害訴訟では多摩川水害訴訟などの例外を除き、原告側の敗訴が続いた。堤防整備などの遅れについて、国の管理責任を問うのは難しくなった。

勝訴したが「良かったという喜びがない」

鬼怒川大水害の控訴審で住民側は、単に堤防整備の遅れを指摘するのではなく、堤防整備の順序を決める方法が間違っている、と堤防整備のありかたを批判した。

しかし判決は、例えば住民側が30年間の一級河川の堤防決壊事例を検討した結果について触れず、堤防整備の順番や方法についても「専門家が検討した結果なので妥当、としている」(在間弁護士)という。

判決言い渡しの後、原告住民は東京高裁の前で「勝訴」の旗を掲げた。だが住民たちの顔に笑顔はなかった。堤防決壊について住民側敗訴となったことに加え、住民側が勝訴した若宮戸地区についても一審判決に比べて賠償額が少なくなったからだ。

原告団共同代表の片倉一美さん(71歳)は「納得できない。国が低くて危険な堤防から順序良く改修したら被害は受けなかった。その理論を司法は認めてくれなかった。上告したい」と話した。

勝訴した若宮戸の高橋さんも「良かったという喜びがない。国に誠実さがないことが、賠償額の減額に現れたと感じる」と肩を落とした。

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