「ノンフィクション」を殺すのは誰か? そんな出版業界でいいのか

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戦後、新聞だけでは飽き足らない新たな読者層が雑誌ジャーナリズムを支え、「週刊朝日」「サンデー毎日」といった戦前からの新聞社系週刊誌以外に、50年代以降は出版社系週刊誌といわれる「週刊新潮」「週刊文春」「週刊現代」などが創刊される。

発行部数の増加と共にノンフィクションの量産体制を支える「データマン/アンカーマン」制度が確立。筆者本人とは別に、執筆するテーマについて資料を集める人(データマン)と、ライターが執筆した原稿を最終的にまとめる人(アンカーマン)に分かれて記事を「作る」という協業体制だ。これについては、先輩ライターの仕事を目の当たりにし、ノンフィクションの「流儀」や「作法」を学ぶ貴重な場だったという声(ベテラン記者)がある一方、この「徒弟制度」に近い慣習が、時に「ノンフィクションとはこうあるべきだ」という業界の閉鎖性につながったと話す編集者もいる。

新しい人材が集まらなくなった

「ノンフィクション」を辞書で引いてみると、「虚構によらず事実に基づく伝記・記録文学などの散文作品、または、記録映画など」(「大辞林」第三版、三省堂)とある(撮影/写真部・大嶋千尋)

94年の朝日新聞の記事に、ノンフィクション作家の大下英治の仕事場を訪れたものがある。資料と本が山積みになった仕事場で、9人のスタッフが一心にデータ原稿を打っている。その記事中で大下は取材費が出ない場合は自腹を切っている、と答えているが、これは原稿料がまだ高かった時代の証言だ。出版物の販売額のピークは96年の約2兆6千億円。94年はまだ右肩上がりである。2014年の推定実売金額は約1兆6千億円。当時より1兆円売り上げが落ち、新しい人材も集まらなくなった。

「文藝春秋」(73年11月号)に掲載された立花隆の「田中角栄研究 その金脈と人脈」は田中角栄を引退に追いやるきっかけとなり、当時の雑誌メディアの影響力を示すものとして今も語られるが、この時立花が用いた手法が「調査報道」だった。立花は出版社を通じて複数のライターと契約し、登記簿や政治資金報告書などの資料を徹底的に調べ上げた。膨大な「時間」と莫大な「カネ」を使って。

編集プロダクション・LLPブックエンド代表で『リブロが本屋であったころ』の著書もある中村文孝(65)は当時、西武ブックセンター(後のリブロ池袋店)に勤務していたが、『田中角栄研究』の華々しい売れ方を記憶している。当時は本が売れただけでなく、「なぜ、いまこのタイミングでこの本が出るのか」という深読みする批評的な読者もいたという。ジャンルの興隆は、読者の成熟も促した。

ノンフィクションをめぐる現状を「人通りのないところに構えた高級レストラン」と批評し、物議を醸した若手編集者がいる。世界のニュースメディアの動向を報じるブログ「メディアの輪郭」の発信者である佐藤慶一(25)だ。

「筆者と編集者が情熱をもって取材し発表したとしても、実売3千という数字を考えると、それを読むのは限られた『村』の住人と考えるほかない。ノンフィクション関係者は、『伝える』とか『伝わる』以前に圧倒的多くの人に『届いていない』という現実を直視する必要がある」

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