生命は存在せず「幻想」であるという奇妙な考え 既知の物理学はなぜ「生命」を説明できないのか
しかもこれまで調べられてきた限り、生きていない物質から生きている物質への転換は、物理学や化学に関する既知のどのような法則とも矛盾しないことが分かっている。生命は生成も消滅もしないという法則、いわば生命保存の法則などというものは存在しない。
もちろん私たちは生命体が生まれたり死んだりするのを知っているのだから、それは当然だ。しかし往々にして、もっとも当たり前の観察結果が科学的にもっとも説明が難しく、それを数学的な法則に変えるのはますます難しいものだ。
生命は化学の「ベーパーウエア」か?
現代科学は、生命が物質の性質ではないことを教えてくれている。
多くの人は生命は存在すると考えているが、そんな人たちの気づかない事柄を、物理学者や化学者は心の底で感じ取っている。分子や分子の集合体が突然"生命を宿す"、そんな魔法の遷移点など存在しないということを。
生命は化学の”ベーパーウエア”、いわば宣伝文句だけで実体のないソフトウエアである。すなわち、「私たちは生きている」という日々の経験から考えると、あまりに当たり前の特徴なのに、身体の一部分を見てみると存在しない特徴なのだ。
生命が物質の性質でなく、物質とは存在するものであるとしたら、結論として生命は存在しないことになる。エリントンはそのようなロジックを進めようとしたのだろう。
だがそれでも私たちはここにこうしている
(翻訳:水谷淳)
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