生命は存在せず「幻想」であるという奇妙な考え 既知の物理学はなぜ「生命」を説明できないのか

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生命を支える現実の物理はそれに輪を掛けて奇妙かもしれない。生命を支配する原理は、現段階では解明されていない。しかしいつかは、現在の私たちにとっての、時空の湾曲や光子の存在と同じように、のちの世代にとっては当たり前のものになるかもしれない。

生気論者の多くは、もともと生きていないものによって生命が作られることはありえないと考えていた。生命体が特別であるのは、その各部分が特別であって、必要不可欠なエラン・ヴィタールをある程度持っているからだ。

したがって、生きているものを増やすには、生きているものが欠かせない。フランケンシュタイン博士ですら、かつて生きていて死んだばかりの身体から怪物を作るほかなかった。

『フランケンシュタイン』が刊行された頃、生命を作るには生命が必要であるという考え方は、科学界の中ではすでに支持を失いはじめていた。1828年にフリードリヒ・ヴェーラーが、尿に含まれる有機化合物である尿素を、シアン酸とアンモニアという2種類の単純な化合物から合成した。

ぼやけはじめた生命と非生命の境界

この実験によって、生物由来の物質でも生命力のようなものは備えていないことが示された。生命体の構成部品は、非生命体の構成部品と何ら違わなかったのだ。

同様の実験によって、非生命的な化学物質と生命の化学物質を分け隔てる特徴など何もないことが、繰り返し証明された。適切な条件のもとでは、前者から後者へと容易に変換することが明らかとなったのだ。

生命の根底をなす化学や物理に対する人類の理解が進むにつれて、非生命と生命のくっきりした境界線はぼやけはじめた。キャロルやショスタクやエリントン、そして彼らと同様の考えを持つ多くの人は正しかった。ある程度までは。 

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