「Not Like Us」ラップ歌詞が国境を越え刺さる訳 日本に20年住んで感じた恐怖や排除の反応

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精神的に深い傷を負い、真の成功は白人の基準に従うことによってのみ達成できるという考えが強まった。これに対抗するため、黒人のコミュニティは自分たちの物語を取り戻し、その物語に基づいた文化的アイデンティティを確立することを自分たちの責務としたのである。

私が子どもの頃に通ったウフル・ササ・シュレ(スワヒリ語で「フリーダム・ナウ・スクール」の意)という学校は、まさにこのような理由から、ヨーロッパ化が黒人の心と魂に与えたダメージを相殺するために作られた。

毎日、黒人史の授業があった

一般的な公立学校では、黒人の歴史は消去されるか歪曲されたが、私の学校では、まったく異なるアプローチがとられた。毎日、黒人史の授業があった。カリキュラムの中心は黒人の卓越性であり、私たちは数学者、科学者、芸術家、指導者といった偉大な遺産の継承者であることを教えられていた。それは、私たちの真の歴史に根ざした自己価値の感覚を私たちに植え付けることによって、強制的な同化の心理的影響を取り除こうとするものだった。

アメリカにおける黒人の歴史を消し去り、修正しようとする動きは、単に過去のことではなく、未来をコントロールすることなのだ。ある物語が人々の意識から取り除かれるとき、自分自身や他者に対する社会からの見られ方が形成される。

日本もまた、国境内や近隣諸国との関係において、過去をどのように記憶するかを操縦しなければならなかった。歴史は固定的なものではなく、権力者の優先順位に基づいて常に書き換えられている。

黒人の歴史を理解することは、アメリカだけの問題ではない。黒人の歴史を理解することは、アメリカだけの問題ではなく、文化間のアイデンティティ、帰属意識などをいかに物語が形成しているかを思い起こさせる。

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