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ライフ #首都圏、住むとちょっといい街

横浜なのに「かなり地味」"元闇市"がある街の実態 日本初の洋式競馬場もある「根岸」に広がる光景

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前述のように、隣接する横浜市立磯子小学校は、元は真照寺の土地だった。 

「ここらへんの小学校はそういう経緯のものがわりと多いですよ。大きなお寺が多いからそうした歴史になるのでしょうね」(水谷さん) 

山を削って埋立地をつくった 

水谷さんは、地域の景観の移り変わりについても話してくれた。 

「海の方に行くと、今は石油のコンビナートが並ぶ埋立地でしょ。あれはね、内陸のほうにある山を削ってその土をかなり使ったんですよ。山を削ると平地ができるでしょ。そこにお金持ちが住むようになったんです。もともと、ここらへんには海水浴客のための料理屋とか旅館もあったし、お金持ちの別荘なんかもあったから、そういう人たちの集まる場所だったんですよね」(水谷さん) 

また、横浜という土地柄から、幕末前後から外国人が多く暮らす場所でもあった。 

「ここから少し東に行けば、西洋競馬発祥の地である根岸競馬場跡地の「根岸森林公園」もありますよ」(水谷さん) 

横浜港は安政6年(1859年)に開港した。近隣には外国人居留地が設置され、そこに住む外国人向けに日本で初めて開設された洋式競馬場が根岸競馬場である。1周が1764mというからかなり大きなコースだ。 

慶応3年(1867年)に最初のレースが開催された。のちの皐月賞に引き継がれるレースなどが行われたが、昭和18年(1943年)のレースを最後に、戦後はアメリカ軍に接収された。当地には今でも、観覧のための巨大なスタンドが残っている。 

根岸森林公園内になる競馬の観覧施設(筆者撮影) 

競馬場跡地は、その後整備され昭和52年(1977年)に「根岸森林公園(横浜市中区根岸台)」として再スタートを切った。芝生に覆われ、おだやかな丘陵が広がる同公園は、今では、地元住民たちの憩いの場として親しまれている。 

根岸森林公園(筆者撮影)

 前出の真照寺ご住職の水谷さんは言う。 

「根岸、磯子はね、古くから住んでいる人が多いから、外の人にはちょっととっつきにくい土地かもしれないけど、いったん中に入ってしまうとすぐに打ち解けることができる。

我々ハマの人間は外から来る人に慣れているんだね。だからって横浜みたいに忙しい雰囲気もない。のんびりして暮らしやすい。ほんとに『住むとちょっといい街』ですよ」

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