横浜なのに「かなり地味」"元闇市"がある街の実態 日本初の洋式競馬場もある「根岸」に広がる光景

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浜マーケットは、JR根岸駅から約1km、磯子駅からは約1.4kmほどの場所に入り口がある。屋根があるので全天候型の商店街だ。

全長約140mに、食を中心とした生活必需品を扱う20店ほどが、約1.8mの通りの両側に軒を連ねている。定休日は毎月9日、19日、29日だ。 

浜マーケットの趣深い歴史

戦後まもなく、配給品だけでは生活できないと、公の配給ルートを通さずに食品や日用品を売る闇市が全国にできた。浜マーケットはそうした闇市が原型だ。

戦後が終わったの昭和20年(1945年)の冬、年を越すための日用品や食料などを売る露天商がこの地に集まってきた。年を経るごとに、そうした商いをする人が増え、マーケットが成立していった。 

「一番古くからやっている店はどこですか」 

買い物客に訊くと、「それはまぁ、旭屋さんだろうね」と即答だった。ということで、さっそく話をうかがってみた。 

はきもの旭屋
はきもの旭屋(横浜市磯子区久木町20‐5浜マーケット内)(筆者撮影)

「はきもの旭屋」は、マーケットの中ほどにある。客の途切れたタイミングを見計らって声をかけると、店主の中里昇さんが気さくに応じてくれた。 

「戦争中、ここは軍隊の戦車が通れるように疎開道路というのをいくつもつくったんですよ。その一部が戦後にそのまま空地になっていて、そこに店を出す人が少しずつ集まり始めたんですよ。

私はそんな商売人の2代目です。先代はここからちょっと離れた場所に、リヤカーで店を出していた。当時は乾物なんかを売っていたようですね」(中里さん) 

中里昇さん
旭屋の店主 中里昇さん(76歳)(筆者撮影) 

「しばらくして、浜マーケットのバス停の近くで雑貨を売り始めた。当時は家の戸板を持ってきて、それに商品を並べていました。昭和30年(1955年)頃の浜マーケットは、すごい人でね。この狭い通りを押し合いへし合い、ベビーカーなんかは怖くて入れなかった(笑)。

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