元公明党委員長への執拗な攻撃はなぜ起きた? 極秘資料からたどる「創価学会」の黒歴史③
そうしたなか、午後四時二十分に玄関のインターホンが鳴った。
「黒柳です。伏木と大川も一緒です。聖教新聞を見て心配してやってきました」
通話口に出たのは公明党で参議院議員をかつて務めた黒柳明だった。同様に元衆議院議員の伏木和雄と、元参議院議員の大川清幸もすぐ横にいるという。(中略)
そうした間、黒柳は応接間から出て行き、玄関ホールで何者かと携帯電話で話をしていた。
「ええ、今やっている最中です」
「はい、絶対に取ります」
「打合わせどおりにやっています」
どうやら、大川ら三人の背後にはこの日の工作を取り仕切っている上の人間がいるらしかった。
最後、根負けした矢野は三人に対し(学会関係のメモが書かれた)手帳を預けることに同意した。(中略)そうやって、三人が引き揚げていったのは、午後五時四十分頃のことだった。
ところが、それから一時間も経たない午後六時半頃、三人は踵を返し戻ってきた。
「実はねえ、3人で帰って。あのお約束したんですよね。ところが、あのう、今日たまたま、党側の方にね。あの帰りますと。あのさ」
大川がもじもじてして続きを言いにくそうにしていると、伏木が助け船を出した。
「藤井」
それを受けて大川が「藤井さんと、それから」とさらなる助け船を求めると、伏木がまた名前を上げる。
「大久保」
どうやら、先ほど黒柳が玄関ホールで電話をしていた先は藤井富雄(東京都議)と大久保直彦(元衆議院議員)ということらしかった。(中略)この間、情報を吸い上げていた藤井はそれを党代表の神崎武法へと報告していた。
後継者を育成できず、組織も衰退へ
晩年の池田が幹部たちに課したのは恐怖支配だった。2010年5月、後継者を何ら育てないまま池田は突然倒れ、13年余りもの不在の後、東京・信濃町を占拠する「学会村」の片隅でひっそりと息を引き取った。
恐怖下に育った保身に汲々とするだけの宗教官僚たちが大過なく運営する宗教団体に魅力などあろうはずもなく、かつて高度成長期に入信した高齢会員とともに、組織は今日、静かに衰退し続ける一方である。
(敬称略)
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