元公明党委員長への執拗な攻撃はなぜ起きた? 極秘資料からたどる「創価学会」の黒歴史③
宗門が仕掛けた池田追放への戦いは一瞬にして全面戦争へと発展、1991年に破門された学会は独自路線を歩むこととなる。20年余りに渡って断続的に続いた宗門戦争に一区切りつけた後、第2・第3の山崎正友が出現することを恐れ、猜疑心に凝り固まる池田によるワンマン支配が極まった学会において起こったのは、大幹部に対する大小さまざまな攻撃だった。
池田に対する無条件の忠誠心が求められた
1998年に始まった竹入義勝に対する批判キャンペーンや、2005年に突如燃えわたった矢野絢也の吊るし上げという2人の元公明党委員長を仏敵と定めた猛烈な組織動員はその最たるものである。そこで試されたのは池田に対する無条件の忠誠心だ。中でも矢野攻撃は度重なる家探しまで実行された執拗なものだった。
以下、「第16章 竹入・矢野攻撃、そして最後の日々」から引用する。


















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