「池田大作とは何者だった?」宗教界の巨人の実像 極秘資料からたどる「創価学会」の黒歴史①

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(写真:アフロ)
創価学会と故・池田大作名誉会長(2023年死去)の秘められた歴史が書かれているのが、高橋篤史著『創価学会秘録』だ。
本書は、極めて限られた関係者しか見られなかった2つの秘密資料をベースに書かれている。1つは、創価学会自らがまとめた「総合経過年表」と題する内部資料であり、もう1つは宗門(日蓮正宗)の高僧が書き残した通称「河辺メモ」と呼ばれる備忘録だ。
前者は、かつての中枢幹部にして弁護士、そして創価学会史上、最悪の反逆者となった山崎正友(故人)への対策資料として作られたものだ。
後者は日蓮正宗の総本山・大石寺(静岡県富士宮市)の第67世法主である阿部日顕(故人)の懐刀とされた有力僧侶、河辺慈篤(故人)による手書きの日記風備忘録だ。
この2つの資料に加え、筆者が公刊資料から裁判記録まで幅広く渉猟し、創価学会と池田名誉会長の実像に迫ったのが本書である。そのエッセンスを3回に分けて紹介する。

32歳でトップに立った池田大作名誉会長

2023年11月に死去した池田大作名誉会長は、日蓮正宗内で信徒団体の1つに過ぎなかった創価学会を公称827万世帯の巨大宗教団体に急成長させたカリスマだった。

反面、有力な指導者が見当たらない今日の組織衰退を招いた原因もまた池田の過去のふるまいに求められる。それは側近中の側近として重用した山崎正友に裏切られたことで会長辞任を余儀なくされ、それがため次第に肥大化し制御不能となった猜疑心によって後継候補を潰しに潰してきたからである。

今から65年前の1960年、池田は32歳の若さで創価学会の第3代会長に就く。当時、大人数で寄って集っての強引な「折伏」で会員を獲得し急成長した創価学会は選挙違反さえ繰り返す粗野な集団だったが、第2代会長の戸田城聖はそんなことなどお構いなくマスコミが来ても裏表なく平然とした態度だった。

しかし、池田は違った。小説『人間革命』の連載開始などで世間に融和的な態度へと改めつつ、その裏側では「邪宗」「邪教」と蔑んだ他宗教・他宗派など敵対勢力に対する攻撃姿勢を水面下に潜らせたのである。その1つが出版妨害工作だった。

以下、「第5章 言論出版妨害問題の蹉跌」から引用する。

一九六七年九月二十日、先に(公明党都議の)藤原行正が名指しした新宗連の機関紙『新宗教新聞』に新刊本の広告が掲載された。タイトルは『これが創価学会だ』で、サブタイトルは「元学会幹部43人の告白」、著者の植村左内は学会の元会員とされた。(中略)
広告掲載の前後、見本はすぐに創価学会の手に渡ることとなる。この時、出版妨害に動いたのは(公明党)参議院議員の辻武寿と東京都議の龍年光だった。発売を九日後に控えた十月一日、二人は自民党本部に行き、まずは全国組織委員長の辻寛一と面談したとされる。
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