「池田大作とは何者だった?」宗教界の巨人の実像 極秘資料からたどる「創価学会」の黒歴史①
学会側は八方手を尽くして何としても出版を止めようとしたと見え、さらに翌日、この件で自民党本部に現れたのは党都連会長の賀屋興宣だった。公明党関係者の差し金である。
東條英機内閣で大蔵大臣を務めA級戦犯としていったんは終身刑に服すという歴史の生き証人でもある賀屋は、幹事長の福田赳夫に対し、ベテラン国会議員らしからぬ取り乱しようでこう事情を話した。
「実は公明党から頼まれたのだが、某書房が出版を予定している“これが公明党だ”という本をなんとかやめてもらえないだろうか」
こうした政治ルートでの工作がうまく行かないと見た創価学会のとった手段は法的な圧力である。十月四日、創価学会と公明党は、版元のしなの出版に対し出版禁止の仮処分を東京地裁に申し立てた。
学会側が挙げた問題個所は大石寺をめぐる言い伝えから学会組織内における不倫の横行に至るまで七点にわたり、それらは事実無根だとして糾弾、学会や公明党の幹部の暮らしぶりは質素で清廉潔白などと主張した。結局、この申し立ては十日後にあっけなく却下され、その間に件の書籍は刊行の運びとなる。
しかし、創価学会の出版妨害は執拗に続いた。こんどは名誉毀損だとして損害賠償請求訴訟を起こすとともに、刑事告訴にまで及んだのである。告訴の相手には立正佼成会トップの庭野(日敬)も含めていた。問題の新刊本を大量に注文したというのがその理由だ。
こうした一方、創価学会は仲介者を立てての懐柔工作も同時に進めた。例の内部資料である「総合経過年表」によると、和解の話し合いが初めて持たれたのは十一月一日とされる。
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