核兵器と気候変動「世界終末時計」が示す警告 2025年"残り89秒"核の脅威と気候危機を警告
そのような背景から、BASは翌1984年に世界終末時計の針を午後11時57分、つまり「世界の終わりまであと3分」に進めた。アイアン・メイデンが楽曲のタイトルを『2 Minutes to Midnight』にしたのは、当時、世界終末時計がもっとも終末、つまり午前0時に近づいたのが、1953~1959年の「あと2分」だったからだろう。
1984年は、世界が過去最大の危機とされた時期に再び近づいた年だった。
しかし2025年の現在、最新の世界終末時計は「終末」まで「あと2分」どころか「あと89秒(1分29秒)」にまで迫っている。
「史上最悪の過ち」
第2次世界大戦のさなか、ドイツによる原子爆弾開発の計画を知ったアメリカは、それに先んじて原子爆弾を完成させて選局を有利にすることを目指すマンハッタン計画を立ち上げた。
この計画に携わった科学者たちのひとりレオ・シラードは、完成した原爆が日本に投下されようとしているのを知り、人道的な見地から、原爆を実際に使うのでなく抑止力として示し、日本に降伏を迫るべきだとする文書を、アメリカ陸軍長官に送付した。そしてさらに、それを使用することに反対する請願書(シラードの請願書)を他の科学者らとの連名で政府に提出した。
しかしアメリカ政府は広島、長崎に相次いで原爆を投下するよう軍に指示し、大量の死者と、放射能の影響に苦しむ被爆者を生み出した。シラードは、後の妻に宛てた手紙の中で、原爆投下は「現実的な観点でも、人道的に見ても、史上最悪の過ち」だと述べている。
シラードを含むマンハッタン計画の科学者の一部は、「一般大衆、政策立案者、科学者たちに人類の存在に対する人為的脅威を減らすために必要な情報を提供する」ことを使命とする、シカゴ原子力科学者会報を1945年後半に立ち上げた。そしてその創刊号は、広島と長崎への原爆投下から4カ月後に発行された。
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2年後の1947年、BASはそれまで謄写版印刷の同人誌的な体裁だった会報について、核技術の政治的、倫理的課題についてもっと多くの科学者や一般人たちに知ってもらうため、きちんと印刷された表紙を持つ雑誌形式にリニューアルすることにした。
さらにカバーアートにも象徴的な図案を使いたいと考えたスタッフは、マンハッタン計画の一員だった物理学者アレクサンダー・ラングスドルフJr.の妻で、画家のマーティル・ラングスドルフにそのデザインを依頼した。ただ、最初の世界終末時計が指す時刻は、午後11時53分になっていた。これは単に視覚的にバランスがよいという理由からだった。
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